何度結んでも解けてしまう絹糸の様な行為だった。
どれだけ深く交わる事を望んでも、心の奥に捨てられない柵がある以上、完全に繋がる事など出来はしない。
湧き上がる虚無感を押し殺す様にして、ただただ目の前の体に縋り付いた。
抱いている様で、抱かれている様で。
零れる吐息すら惜しいと唇で塞き止めるのに、どこか空ろな思考は白く点滅する。

恋えば恋うほど。
終焉の足音が近付く様で。





空が白み始めているのを薄目を開けて確認したリョーマは、すぐ右隣で寝息を立てる存在に視線をやった。
頬を擽る様に触れる吐息を感じながら、今は隠れている青い瞳を思い出す。
青は、哀しい色だ。そう思うのは、彼の瞳が青いからなのかもしれない。
彼の笑みがどこか皮肉気なのは、世の中を、一歩引いた所から見ているからだろうか。
そして尚その瞳が見つめるのは、異質という枠組みに押し込めた自分自身。
全てを諦め切ってしまえば楽なのだと、どこか冷めた口ぶりで言っていたのは、出会って間もない頃ではなかっただろうか。
今もきっと、同じ様に思っているのだろうと。そう思った。

体中に纏わり付くように残った、昨夜の残滓が心地悪い。
始末をする事もなく意識を手放したせいで、体の奥に確かに残っている感触に、少しだけ眉を顰めた。
自分を抱き込む様にして眠っている彼。きっとさほど変わらない頃に、意識の手綱を手放したはずだ。
加減を知らなかったのは、どちらも同じ。翌日を気遣う様な行為は、確かに今の自分達には必要なかったけれど。

そっと寝返りをうち、その顔を見つめた。
とても綺麗だと、今まで何度も思った言葉が過ぎった。強い光を持った瞳が隠れている今は、冷艶とした印象が少し和らいでいた。
けれど、知っていた彼とは違う。元々大人びていた彼の容貌には磨きがかかり、きっと今もあの頃と同じ、またはそれよりも羨望の眼差しを集めているのだろうと、何となく思った。

指を伸ばして、前髪に触れた。
サラリとした手触りを感じた瞬間、その瞳が開かれる。
あぁそう言えば、彼はとても眠りが浅いのだと。今更ながらに思いながら。

「……オハヨウ」

何を言えばいいのか、考える間も無く口をついたのは、当たり障りのない常套句。少し掠れてしまったのは、昨晩の行為の名残だろうか。

「あぁ……」

一瞬の沈黙の後返されるのは同じく掠れた彼の声で、近過ぎて寧ろ曖昧な視界の中、少し戸惑った様な色を見せる瞳の中に、確かに映り込んでいる自分を確認する。
腰に回されていた腕が解かれ、ほんの一瞬、自分の髪を掠める様にして彼自身の元へと戻って行った。
撫でてくれれば良いのに。そんな事を思った自分を、恥じた。

厚いカーテンの隙間から漏れている光は薄っすらとしたもので、まだ早い時間なのだろう。もしかするとそれほど長く眠っていた訳でもないのだろうか。
時間を確認しようと少し体を起こせば、戻されたはずの彼の手が、自分の腕を掴んだ。

「何……、」

続くはずだった言葉は、口の中で消えた。
青はやはり、哀しい色なのだと。そう思いながら、近付く唇を受け止める。
カサリとした感触が何故か無性に切なくて、追いかけるように舌を出しては、その表面を舐め取った。
漏れる吐息をそのままに。ただ触れ合った舌が繋ぐ糸が、切れなければ良いのにと思った。

時間確認は諦めて、もう一度枕へと頭を沈める。
ポスン、という音がどこか間抜けで、何となしに刻んだ笑みのまま、少し瞳を伏せた。

「ねぇ」
「何だ」
「今日、大学は?」
「……いい」
「……そう」

ならばこのまま、もう少し眠るのも良いかもしれない。
体は確かな疲労を訴えているし、実質眠っていた時間がどれほどのものかは分からないが、夜更けに就寝しただろうという事は分かっている。それならば、もう少し寝た方が良いだろう。自分だけでなく、彼も。
けれどシャワーを浴びたいとも思う。後で辛い思いをする事を知っているからこそ、今すぐにでも始末をしなければならない。結局はそちらが先決だ。

そしてリョーマが口を開こうとした瞬間、跡部が体を起こした。
一緒に包まっていたシーツが肌を滑りながら持って行かれて、けれどそれはそのまま滑り落ちて彼の腰辺りで止まる。

「シャワー、浴びろよ」

それだけ言った彼はベッドから抜け出し、下着とズボンを身に付けて寝室から出て行った。
キスを交わした時に見た、哀しい色の視線がまるで嘘の様にあっさりと。

寂しい、などと。思う事の方が間違っている。
矛盾を形にした様な彼の行動を咎める気にはならない。あのキスがなければきっと、寝室を出て行ったのは自分だった。
一秒でも長く、この仮初の時間を留めたい、などと。思っては、いけない。

リョーマは体を起こした。ズシンとした鈍痛が腰に走って、苦笑する。
昔はよく覚えていた痛みだ。長く会えなかった週末や、試合後の昂ぶった体を持て余していた時に。
その感覚も薄らぐほど行為に慣れてしまった自分には、三年前の時点でピリオドを打っている。
あの日から昨夜まで。この体を開いた事は無かった。
だからだろう、内臓を圧迫し掻き回す様な行為を、快楽に結び付けるのに時間がかかった気がする。ただその肌に触れただけで熱を持つ自分を浅ましく思いながらも、そう簡単には開かない体の奥を、彼はどう思っただろうか。

寝室から直接バスルームへと繋がる扉を開いた。壁の白さが眩しくて、思わず目を細める。
広い洗面所の大きな鏡に映った自分の体には、無数の跡が残されていた。
それが彼の未練と執着の証の様で、息が詰ったかの様に胸が苦しい。
込み上げて来るのが涙だと気付いた時には、鼻を突くキンとした痛みに屈していた。
泣き顔が見たくなくて鏡から視線を剥がしたのに、重力に従って下へ下へと零れる涙は頬を伝って確かにその胸を濡らす。
飛び込む様に浴室へ入ったリョーマは、性急にコックを捻った。シャワーのお湯を頭から浴びて、そのまま床へと座り込んだ。

体に残った彼の残滓も、跡も、全て消してしまわなければならない。
同時に思った。何故この様な真似をするのか。未練や執着を、どうか持たないで欲しい。忘れてしまってくれていたなら、きっと涙など流れなかった。
そしてただ遠くで。思い出の中で眠らせてくれれば良かった。二度と会わない様に。

けれど。

込み上げる涙は歓喜にも似て。ただただ、彼の想いの強さが嬉しい。
残滓も跡も残したまま、消えなければいい、ずっと、このまま。
今も体に残った、彼の腕の強さや触れた肌の匂いを、刻んだまま留められたらどんなに良いか。

これはただの我侭だ。
そして憎く思うのは、身勝手な自分の存在だ。
日本へと……彼の暮らす国へと舞い戻ったのは自分で、その腕を欲したのも自分。
それなのに今もまだ、その甘えを正当化したい自分が、その全てを彼のせいにしようとしていた。

先ほど触れたばかりの唇がまだ熱を持っている様で、指先でそっと触れた。
いっそ、排水溝へと吸い込まれて行く渦になって、溶けてしまえたなら。

彼が残した跡と同じくらい強く、自分も彼に未練と執着を残しているのだと。
認めてしまうのが、怖かった。




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(2006/08/29)

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