薄い皮を爪で引っ掻いて捲れば、ほら、丸裸。
召しませ、思うままに。




muscat of ALEXANDRIA






派手な水音が上がって、続くのは飛沫。大粒のそれがギリギリ届かない範囲で、けれど顔を顰める男が一人。
青色の大きなパラソルがその顔に影を落とし、白色のデッキチェアごと彼を陽射しから守っていた。
すぐ傍に置かれたテーブルには濃い橙色のオレンジジュース。グラスが外気温との温度差で汗をかいている。

「ワンッ!!」

些か可愛さに欠ける重低音が響き、続いてもう一度、水音と飛沫が上がった。
耳を劈く様なそれらに溜息を吐いた跡部は、先ほどから殆ど進んでいないハードカバーの洋書へと、再び視線を戻した。

「ほらピート、こっちこっち!!」

やけに楽しそうな声が響き、跡部の米神がピクリと動く。
パシャパシャと音を立てながら得意の犬掻きを披露するのは彼の愛犬で、その向かう先はプラスチックのフリスビー。
そして、濡れ髪の少年。

「お前はホント賢いね。もう一回いっとく?」
「ワン!」

最近では自分の愛犬であるはずの大型犬二匹が、自分よりも寧ろあの少年に尻尾を振っている気がする。今朝も「部活無いからプール入りに行って良い?」という突然の電話を切った後、やけに嬉しそうに部屋の中を歩き回っていた。自分達の会話が、どうやら分かっているらしい。
今日は母親に連れられてバカンスに出かけているボルゾイが居ない分、まだ静かな方だ。
少年と同じくらい身頃のある二匹がじゃれながら「撫でてくれ!」とばかりにその体を摺り寄せる様は、見ていてもなかなかに微笑ましいのだが。

「ちょっ、ピート、舐めちゃ駄目だって」

米神が、再び動く。
気にするな、気にするな……と言い聞かせ、文字列へと意識を向けようとするが、楽しそうに、そして擽ったそうに上がる笑い声と犬の低い鳴き声と、水音と。
……跡部はあまり、気の長い方では無い。

「……オイ」

愛犬に負けない重低音が喉元から零れ出て、けれど確かに空気を振るわせたはずのそれは、広い楕円形のプールに居る一人と一匹には届かなかったらしい。

「ピート!もう……お前重いんだからさ、乗られると沈むってば」

その言葉通り半ば沈みかけた少年が、けれど機嫌良く愛犬の長い毛を撫でている。水分を吸い過ぎて元のボリュームは欠片も無いが。

今やその視線は完全に本から離れ、プールの中心へと向いていた。
顰められた眉、機嫌の悪さがありありと表れている瞳、歪んだ口元。
纏う空気は重く、折角の好天を台無しにしてしまう薄暗さだ。

「おいリョーマ!」

先ほどより幾分か大きく発せられた声に、名を呼ばれた少年が視線を返す。
……と思った瞬間に、その顔は完全に水中へと沈んでしまったのだが。
そしてその体に乗り上げるのは、愛犬オールド・イングリッシュ・シープドッグ。
元々から顔全体を覆う長い毛のせいで表情の分からない愛犬は、けれども非常に楽しそうにザバザバと水を掻いている。
数秒後に水面から顔を出したリョーマは、尚もじゃれ付くピートを左手で抑えながら今一度跡部へと視線を向けた。

「呼んだ?」

何か用?とばかりに、投げ掛けられる視線は、いつも通りに温度は低め。
先ほどまであんなにも楽しそうに、そして優しく愛犬へと向けられていたものは、そこには無い。

跡部の中でジリジリと焦げ付くものがある。
これが何なのか、分かってはいるのだが、けれど言葉にするには情けな過ぎて。

「……そろそろ上がったらどうだ。ピートも風邪をひく」
「ヤダ。ねぇ?ピート」
「ワンッ!」

得意気に鼻を鳴らす愛犬。
普段は主人である跡部にこの上なく忠実で温厚な愛犬ピートは、聡明であるが故に知っているらしい。
……リョーマを味方に引き入れる事の強さを。

跡部は一つ、舌打をした。
結局はこうなるのだ。今日はその思惑には乗らないつもりだったというのに。

本をテーブルに置いて立ち上がる。着ていたパーカーを脱いで、水着姿になった。
ニヤリと笑っているリョーマの顔が視界の隅に映って、溜息を吐く。

「ピート、来い」

声高に指令を出せば逆らえないのが、きっちりとしつけられた彼。そしてその主人は自分。
リョーマにじゃれ付いていた体をパッと翻し、重い体も何のその、素早い動きで跡部の足元までやって来て、行儀良く座った。
一度は振るわれたものの渇き切るはずの無い毛をゆっくりと撫でて、テーブルの上に置いてあったクッキーを一枚、鼻に乗せてやる。

「いいぞ」

そう指示をすると同時に指を鳴らし、ピートを本館の方へと向かわせた。後は執事がきちんと世話をするだろう。

「ねぇ」

そしていつの間にか跡部の立つプールサイド際へと泳ぎ着いたリョーマは、得意気な表情でこう言うのだ。

「飼い犬に嫉妬するなんて、カッコワルイよ?」

跡部は膝を折り、視線を近づける。

「煽ってんのは誰だ。あ?」
「だってアンタ、本ばっか読んでるじゃん」
「何だ、お前は本に嫉妬してんのか」
「……プラス思考は良い事だけど、ね」

そう言ったリョーマは跡部の腕を掴み、プールの壁を思い切り蹴った。
ふいを突かれた跡部は反応が遅れ、なすがまま、プールへと引きずり込まれてしまう。

「っ……!!」

頭から突っ込む事となった跡部が勢い良く顔を上げると、珍しく、リョーマが声を上げて笑っていた。

「……てめぇ」
「油断大敵、ってね。顔打った?」
「水を飲んだ……」
「俺を放っといたバツだよ」

笑いながらそう言ったリョーマは、けれど乱れた跡部の髪を指先で梳いた。

「塩素味、消してあげようか?」
「ぁ?」

言うが早いか触れ合った唇からはやっぱり塩素の味がして、けれど薄く閉じられた睫毛の先にまで玉を作る水滴が、真夏の炎天下には心地好いのも事実で。
浮力に流されない様にと掴まれたままの腕を外させ、その背中を抱き抱える事で固定した。

「俺が折角来てあげてんのに、放置なんてあんまりじゃない?」
「今日は午後から出かける予定があんだよ。けど、気が変わった」
「ふーん?」
「どういう構い方が、お好みだ?」
「……聞くんだ?」

笑ったリョーマに釣られて、跡部も笑った。
広大な私有地の緑の中、大きく切り取られた空間。
邪魔するものは居ない。





見ているのは、直に頂点を指そうとしている太陽だけだった。





END




暑中お見舞い申し上げます、という感じの跡リョです。
去年書いてボツにした話を書き直したので、割とアッサリ書けた気が。珍しく(笑)

跡部は公式設定で犬と猫を飼っておりますが、リョーマもカルピン愛なので、そんな所でも共通点なのよ!と主張。
今回出て来た「ピート♂」は、アニメの立海戦の最中に登場したワンコちゃんです。
犬種は何となくコレ?と思ったものなので、間違ってたらごめんなさい。
でもうちの跡部の犬は、もうコレで行きます(笑)
後はゲームで出て来た「マルガレーテ♀」(ボルゾイと思わしき美形犬)
カードで出て来た猫ちゃん(ロシアン・ブルーと思わしき美形猫。勝手に命名「テレーゼ♀」)
がおりまして、きっとリョーマに懐いてるよ、という事で。

毎日暑いですが、跡リョがプールでいちゃいちゃしてると思って、クールダウン……
出来ないな、逆にヒートアップしてしまう(笑)

涼と爽を提供出来ない暑中見舞いですが、一応フリーという事でお持ち帰り自由。
サイト掲載の際は一言ご連絡頂けるとますますヒートアップします(笑)

脳味噌溶けそうに暑い夏ですが、どうせ溶けるなら跡リョで溶けましょう!!


明るい跡リョを書くのが久し振り過ぎて戸惑ったよ!な、黒蜜でした。

UP : 2006.07.29