ローズレッドに寄せて
生乾きの絹糸から香るシャンプーの残り香が、跡部をふと微笑ませた。
それが自身のものと同じだと気付いたからで、それもそのはず、今し方その手によって洗われたばかりのその髪は、照明を落とした寝室の闇の中でも、はっきりとした質感を伝える。
頬に触れる一筋が少し冷たくて、指を絡めた。
「……痛」
控えめに上げられた声に気付いて指を離せば、追いかける様にして手が添えられる。
掌同士を触れ合わせ、指が互いに絡んだままゆっくりとシーツに落ちた二人の手は、まるで見えない糸で繋がれた様に離れない。
もう片方の手でその細い顎を持ち上げれば、唇がゆっくりと弧を描いたのが見えた。
触れる直前にそれは開いて、薄い割れ目から漏れる吐息を逃がさない様、隙間を埋める様に口付ける。
キスが神聖な行為であると、思う瞬間がある。
欧米では当たり前の様に交わされる挨拶。日本人である自分は、その感覚と少し遠い位置にいて。
けれど、例え安売りはせずとも、まさか初めてではないそれが、こうして。
「……ふ」
息継ぎの合間、甘味がかった吐息を捉えた聴覚が、そのままストレートに快楽を呼び起こす。
こんなに堪え性が無かったか、と内心苦笑しながら、少し力を込めて、けれど自然に、その体を押し倒した。
パサリ。
音が鳴って、シーツに落ちるのは艶やかな黒髪。やはり未だ湿ったままのその一筋に唇を寄せた。
中途半端に閉められたカーテンの隙間から、いやに明るい月光が射す。
その光がまっすぐ横切るベッドの上で、まるで切断されるかの様に体を倒した自分たち。
緩く解けた手を離して、その顔の横につく。
見下ろした瞳は、いつもいつも、どうしてこうも不思議な色をしているのだろうか、と。その強さに惑わされる様で、見つめるのが怖いとも思うのに魅了されてしまうのは、それこそが自分が彼に抱く情愛の形なのだろう。
「ねぇ」
囁く声が漏れるのは、先ほど交わしたキスのせいで赤く染まった唇。
残像を残す様に動くそれを目で追えば、それを拒むかの様に、掌が頬に添えられた。
「明日……何の日か知ってる?」
唐突な言葉にそれでも脳裏でカレンダーを捲れば、明日は十月最終日。
「ハロウィン……か」
「正解」
頬をするりと撫でた指は、擽る様な動きで顎に滑り落ちる。
焦らすか、それとも誘うか。そのどちらをも意味しそうで曖昧な指はそのままにさせ、片手を身に纏ったシャツへと滑らせた。
綿の上から撫でた腰は細く、柔らかな筋肉の形を皮膚へと伝える。
「アッチでは、毎年パーティーだったよ。アンタは、やった事ある?」
「仮装か?……随分昔に、そんな余興があった記憶はあるな」
「へぇ。是非見てみたかった、それ」
「ガキの頃の話だ」
「俺は……参加してなかったけど、お菓子だけ貰ってたっけ」
「お前らしいな」
クスリ、と。
笑い合った唇が思いの他近い場所にあって、そのまま音を立てる小さなキスを交わす。
例えばラケットを交える時の様な激しさが、今夜にはない。
差し込む月光のせいか、交わす戯言の様な会話のせいか、触れ合う感触を楽しむためか。
どちらにしろ、生温い時間が過ぎるのは、強ち悪いものではない、が。
些かもどかしさを感じ始めた跡部が、初めから空いていた隙間から、シャツの中へと手を滑らせる。
しっとりとした質感は先ほどまで入っていた湯に入れられたミルク色のバスオイルのせいか。香り立つ花の香りが、鼻腔を擽った。
「……もし俺が、」
今正にその首筋へと唇を落とそうとしていた瞬間、引き止める様に切られた言葉に、跡部は動きを止める。
少々怪訝な顔をしてその瞳を覗けば、強気な光を湛えた瞳は相変わらず、どこか楽しそうに見えた。
その瞬間だった。
跡部の視界が一転し、気がつくと天井を向いていた。
体位を入れ替えられたのだと分かったのは、その体の重みを感じてからだった。
「な、に」
「偶には、イイじゃん」
その小さな体からは想像出来ない力が、秘められているのは知っている。
ただ現状が現状だからか、一瞬の隙をつかれた。焦る事よりも寧ろ、戸惑いの方が大きい。
腹に乗り上げたその体は起こされて、今は少し遠くなった位置から此方を見ている。
「……どんなサービスをしてくれるって言うんだ?」
そう囁けば、確かに笑った。
未だ互いに衣服を身に着けたままで、けれどもシャツの下の腰に撫でる様に触れる。
それを咎めるつもりなのか、重ねられた手は掴まれたまま引き剥がされ、その代わりに唇を寄せられる。
指先を口内に含まれて、柔らかく噛まれるだけで。大した刺激でもないと言うのに、ほんの少し、目の前が歪んだ気がした。
「さっきの続きだけど」
赤味がかりかけた視界の中で、誘う様に笑いながらリョーマが言う。
「もし俺が、例えばヴァンパイアなら。……血、吸わせてくれる?」
言いながら体を倒して、その唇が首筋に触れる。
返事を待つつもりなのか、戯れる様に這わされる舌が滑り、何度かキスが落とされた。
彼の利き手である左手はシャツのボタンを外しにかかり、少しずつ露になる肌を、これもまた戯れの様に爪が引っ掻く。
ヴァンパイアと言うよりは、黒猫だ、と。そう思いながら、いつに無く大胆なその体に再び手を添えた。
「吸いたいなら吸えよ。その代わり、俺もお前の血を吸うぜ」
「相殺?……それもイイね」
クスリと笑った後、緩く立てられる歯の感触に目を閉じた。
その犬歯が皮膚を食い破る事はなくとも、どちらにしろ明日は、シャツのボタンを開ける事は出来そうにないと、そう思って。
目の前にあった首筋に、お返しとばかりに歯を立てれば、シャツを握った手が少し震えた。
眉根を寄せて吐息を吐くのは、恐らくどちらにも共通している。
同時に唇を離して、そして互いに触れさせて。
絡んだ舌が感じるのはきっと、血液よりも美味な―――。
END
(2006/10/31)
目指せ、ヤってないのにアダルティ。……達成出来たでしょうか。
今までにあまり無い。と言うよりは少し昔の私流の書き方に、なってしまったんですが……やはり内容でしょうね。
目的が曖昧でぼんやりとした表現の中に、少しアダルトな香りを。こういう話は自己満足になりがちなのですが;;
リョーマはアメリカ出身という事で、やはりこの時期には多少敏感かなぁと思います。お祭り騒ぎに参加するタイプでなくとも。
完全パラレルにすると説明に時間を食うので、ハロウィン前日という事で。
ハロウィン関係無いじゃん、とか言わない言わない(笑)
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