教室のカレンダーには、薄紫の紫陽花が咲いていた。
葉にはカタツムリ。細い線で描かれた雨が、どこか柔らかな色合いを添えていて。
六月は梅雨、じゃないのか?なんて。
晴天に溜息を吐くのは、きっと贅沢なんだろう。
風待月、雨待月。
今日も今日とて空は快晴。雲一つ無い青には金色の太陽が輝いている。それこそ、燦々と。
「集合ー!!」
号令に従うテニス部員の足音が、カラカラに乾いたグラウンドに軽い音を響かせた。
ラリーを終えたばかりの体が、必死に酸素を補給する。
それに交えた溜息には、誰も気付かない。気付かなくて良い。
「10分休憩!!水分補給は十分にしておく事!!」
「はいっ!!」
張り詰めている糸が緩む様な。そんな安堵を見せる返事が響き、ジャージの集団は日陰を求めて移動する。
部室、木陰、水飲み場……。それぞれが求める束の間の安息が、約束される場所へ。
校内ランキング戦を間近に控えた青学。
日増しに上昇する気温と比例するかの様に、練習に入る熱も半端ではない。今回決まったレギュラーは、そのまま地区大会に出場する。凌ぎを削り合う様な緊張感の中、高まるボルテージに天候まで味方しているかの様だ。
そんな中、炭酸ジュースの缶を傾ける少年が一人。
普段からクールなその表情に、疲労と呼ぶよりは落胆と呼ぶ方が正しい様な色が、浮かんでいた。
『せめて、雨が降れば……な』
昨夜の電話を思い出して、リョーマは少し、眉を顰めた。
喉を通り抜けていく炭酸は爽快だと言うのに、気持ちはちっとも晴れない。
それでいてもあっと言う間に飲み干してしまう缶ジュースにさえ苛立って、グシャリと握りつぶしてしまった。
調子が狂うのはストレスか。
会ってする事の半分はテニスだと言うのに。テニス自身なら、ここでも十二分に出来ると言うのに?
……それでも。こんなにも波立ってしまう。
元より、淡白な方なのは自覚している。執着している事と言えばテニスだけで、そちらに集中するあまり、他の事が疎かになっているのかもしれない。
だから本当なら、何でもなかったはずだった。
それなのに。
「休憩終了ー!!」
聞こえて来た号令に、また溜息。
溜息を吐くと幸せが逃げる、なんてジングスを信じている訳ではないけれど、もしもそれが本当なら自分は、一体どれだけの幸せを逃がしているのだろうか……なんて考えて。
テニス漬けの毎日こそが、幸せだと。思えなくなってしまう。
これほど自分を雁字搦めにしてしまうのだ、それに絡んだ犯罪が多いのも納得が行く。
厄介なものだ……恋愛とは。
空が暗くなるギリギリまで続く練習が終わった頃、時間は19時を迎えていた。
急ぎ足の片付けを済ませてワラワラと帰って行く部員達を眺めながら、重い体はポロシャツを脱ぐ事すら億劫に感じさせる。
テニスにおいて、調子が悪い訳じゃない。何より練習時間はたっぷりあるのだから、必然的に調子も上がって来ている。
ただ、集中力が続かなくなっていた。暇を見つけては……暇でなくとも空を、太陽を睨み上げる。
たった一日で良い。半日でも良い。雨が降れば。
残り少なくなった部員達に挨拶をして、部室を出た。
昼間と違ってムッとした空気には、湿気を感じる。という事は、今更ながらに雨が降り出すのかもしれない。
けれどこの雨も、朝方にはあっさりと上がってしまうのだろう。きっと、翌日の部活には何の支障も無いほどに些細なものだ。
去年の今頃も、同じ様に過ごしていたはずだ。
いや、どちらかと言えば、雨は嫌いだった。テニスが出来なくなるから。
それが、たった一年で……その間にあった革新的な出来事のせいで。こうして、変わってしまっている。
そんな自分が浅はかで、嫌で嫌でしょうがないのに、それよりも嫌なのがこの状況なのだから始末が悪い。
会って何がしたい、という訳じゃない。
ただ、会いたいだけ……だと思う。
それなのにそれさえも、叶わない。
自分自身に舌打ちをしながら、リョーマはポケットに入れた携帯を取り出した。
どちらかと言えば、自分はいつも受話する側で、かけた事は殆どないかもしれない。
発信履歴よりも着信履歴に多く名前を残すその人に、ボタン一つでコールが飛ぶ。
『……どうした』
「もう部活終わった?」
『あぁ。帰りの車の中だ』
「そう」
電波越しの会話は、気休めにすらならない。
ただ少し、声を聞いているだけで。ほんの少しくらいは、落ち着ける気がした。
『珍しいな。お前からの電話なんて、そう何度も無いだろ』
「……それだけ、焦れてるって事じゃない」
今の苛立ちを包み隠さないストレートな台詞が、喉元から零れた。
けれどそれを悔やんだり恥じたりする様な余裕も意地も、無くて。
『……何かあったのか?』
戸惑いを孕ませた問い掛けに、苦笑する。
ほらやっぱり。今の自分は、相当らしくない。
「違うよ。ただ、梅雨なんて嘘ばっか。って思ってただけ」
木々をざわめかせる風が、少々派手になって来た。
雨が降り出す前に、家に帰ってしまいたい。けれど。
「アンタに、会いたい」
ぽつりと呟く様な。けれど電話越しには聞こえないはずもないその言葉に、彼はどんな反応を見せただろう。
そんな事を思いながら携帯を耳から離す。何か言っている様に聞こえたけれど、無視して通話を切った。
電源までも落としてポケットにしまって。歩き出す。
雨が降り出すまでに、俺を拾ってくれたなら。
明日の朝練くらいは、サボっても良いって事にする自分ルール。
勿論アンタにも強制するつもりだけど、それでも良い?……なんて。
わざとゆっくり歩きながら、考える六月の夜。
END
(2007/06/24)
単品SSは去年以来の更新ですね!(苦笑)
梅雨なのに雨少ないなぁ……と思いながら。書いてる今日は大雨なんですけどね!
うちの弟の部(中学の男子テニス部・軟式)は雨だと休みになるそうなんですが、
青学や氷帝は……室内練習してそう、ですよね。まぁ固い事言わずに!
ちなみにどうでも良いですが、跡部高1、リョーマ中2です。
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