気紛れ猫


特に意味があった訳ではない。強いて言えば興味、に当たるのだろうが、そう呼べるほどに心を動かされた訳でもなかった。 ただ、その部屋の主が不在なのと、読んでいた漫画を読み終わってしまったのと。その二つが重なり、暇だ、とソファの背凭れに体を預けた瞬間に、たまたま目に入ったから。だから、どうして、という事も無いのだ。 この部屋に置かれている家具は、殆どが年代物の所謂アンティーク。持ち込んだスナックの残骸が残るコーヒーテーブルも、壁にかかったどこかの風景画も、今や映画の中でしか見ない様な蓄音機も、勿論今座っているソファも。全て、俄かには信じがたいほどに値の張る、一級品のアンティークだ。 初めは何を触るにも壊しやしないかとビクビクしてしまったものだが、自分には、その価値がイマイチ分からない。深みのある飴色の木材や、思わず溜息を吐いてしまう様な音色に触れて心のどこかに柔らかいものを感じる事は出来ても、それが欲しいとか、手に入れたいだとか。そんな風に思った事は一度も無かった。 結局自分は、座れるのならアンティークソファだろうが学校の学生椅子だろうがどっちでも良いのだ。ただ、心地良いかどうか、そこの差だけで。 ふとそう思った瞬間から、まぁ良いか、と思えた。体を緊張に固めて座るより、力を抜いてこそ良いものを良いと感じられるはず。 そうした所で、例えば自分の部屋のベッドの上と、このソファの上と、どっちが居心地が良いか、なんて。結局よく分からなかったりするものだから。 その日リョーマの目に止まったのは、部屋の壁際に置かれた、大きなキャビネットだった。家具全部が同じメーカーの商品で統一されているのだろうか、ソファの脚と同じ、綺麗な飴色。ガラスの向こうにはレースの飾りカーテンがされており、そのまた向こうには……キラキラと光るものがあった。 それが何なのか、ある意味見慣れているリョーマにとっては、すぐに判別出来た。 だからと言うものあり、そこに持て余している“暇”も手伝って。リョーマは立ち上がり、そのキャビネットの前で脚を止めた。 背丈より幾分か大きい。両手を広げても、はみ出るほどの大きさ。 その観音開きの扉を開けようとして……軽い手応えに拒まれた。鍵が、かかっていた。 仕方が無いのでガラスの隙間から中を覗き込んでみる。 所狭しと並べられたそれらを見とめた瞬間。それは、リョーマがこの部屋の中で唯一、自室との共通点を見つけた瞬間でもあった。 「……何してんだお前」 目を細めて刻まれた文字を読もうと挑んでいたリョーマに、背後から声がかかる。 何も悪い事をしていた訳じゃない。しかし何故かビクリとして肩を竦めながら振り返ると、パイルのローブを身に纏ったこの部屋の主、跡部が立っていた。 「……別に」 「鍵なら下の引き出しに入ってるぜ。真鍮の小さいヤツだ」 リョーマの返事を聞いたのか聞かなかったのか。 髪から滴り落ちる雫をタオルで拭いながら、興味無さそうに視線を逸らせた跡部は、そのまま歩いてソファへと腰を下ろした。 その対応に気を悪くした訳ではなかったが、少しだけむっとしながら。けれどほんの気まぐれの延長のまま、リョーマは引き出しに手をかける。 そちらには鍵はかかっておらず、綺麗に整理された古いポストカードや手紙が入っていた。その横の、小さなスペース。そこに、少しくすんだ色をした、小さな鍵がある。 形からしていかにもアンティーク。掌にすっぽりと包んでしまえるサイズのそれを摘み上げて、扉の鍵穴に差し込む。大した抵抗も見せないままにカチリと音が鳴り、その扉は開いた。 金色、銀色、ガラス細工のカップにトロフィー、メダル。そして大きさの違う盾がずらり。 一番左のものから、ドイツ語弁論大会やら、ピアノコンクールやら、全国読書感想文大会などもある。 一つ上の段には、乗馬、フェンシング、そしてテニス。スポーツ関連のものがまたまたずらり。 自室と同じ……なんて思ったのは、どうやら間違いだった様だ。この内の、一体幾つが共通していると言うのか。 自分より高い目線に置かれたそれらにただただ圧倒される様で。リョーマは知らず、薄く口を開いていた。 「……リョーマ?」 髪を拭き終わったらしい跡部が、動かないリョーマに声をかける。 リョーマはゆっくりとそちらを向いて。 「アンタって……意外と凄い人だったんだ」 なんて、呟いた。 「意外と、って何だ今更。んなもん、珍しくも何とも無いだろ」 「いや、そんな事はないと思いマス」 「お前だって持ってんだろ。向こうじゃ、チーム戦より個人戦主義だろうからな」 向こう、と言うのはリョーマの生まれ故郷、ステイツの事。 そして確かに、リョーマが最初に共通点を感じた理由は。自室の隅に、追い遣られる様にして並べられた、今目の前にあるこれらと同意義を持つものたちだった。 「でも……何か、違う」 「あーん?」 「やっぱこうして綺麗に並べてると、その存在価値も出て来る……って言うか」 はぁ、と溜息を吐きながら扉を閉めたリョーマは、鍵をかけ元に戻し、跡部の座る、例のソファに戻って来る。 「存在価値?珍しい事を言うもんだな。お前にとっちゃ、トロフィーも盾も飾りかと思ったが」 「まぁそうなんだけどね。結局、あんなのただの記念だし。でも、くれるままに貰ってると……たまってしょうがないんだよ」 そう言いながらリョーマは、自室の、背丈ほどある木の箪笥の上に、半ば積み上げる様にして乱雑に置かれたそれらを思い浮かべる。 そんなものが欲しくてやっているテニスではないが、結果として付いて来るものの一つで。しかも、文字通り生まれた時からテニスラケットを振っているリョーマは、それこそ幼い頃から本当に多くの大会に出場して、その度にその手のものを色々と頂戴して来た。しかしそれらに大した意味を見出せないという事もあり、多くの選手が望んだそれらは、今や部屋の隅で埃を被るだけになっている。 「せめて、こういうのがあれば……もうちょいマシなのかな」 そう言って、今し方離れたキャビネットを見上げるが……正直な所、これの入るスペースは、自室には望めそうにない。 それに、使いっ放し置きっ放しを母親に指摘され続けている自分には、結局の所同じ事になってしまいそうだ。 考え込んだ挙句に無理だと判断し、お手上げとばかりに肩を竦める。 そんなリョーマを横目にしながら風呂上がりのミネラルウォーターを呷っていた跡部は、ふと、グラスから口を離して呟いた。 「そう言えば、お前の部屋に行った事がないな」 その呟きを拾ったリョーマは、その後に続くだろう予測される展開に、露骨に顔を顰めた。 「……いいよ来なくて」 そんな態度を何となく癪に感じながら、跡部は続ける。 「家の前までなら何度も行っているが、玄関先にすら入れようとした事無ぇだろ。今更なのは重々承知で聞くが、何でだ」 「何でって……それこそ、何でそんな事聞くワケ。今まで何も言わなかったじゃん」 「だから、今更なのは承知だと言っただろ。今まで考えた事も無かったが……お前はうちに来て散々俺の部屋を散らかして帰るのに、俺がお前の部屋に入った事が無いというのは、不自然だろーが」 「……散らかしてない」 「それは俺が常に片付けているからそう思うだけだ」 確かに。先ほどまでコーヒーテーブルに乗っていたはずのスナックの空き袋が、姿を消している。 それに気づいたリョーマは言葉に詰まり、少し俯いた。 「何か理由があるのか」 そんな跡部の問いかけに、真意を隠したまま上手く答えられるほど、弁の立つ自分でもない。 ならば……折れるしかなかった。 「……分かった」 見るからに悲壮な表情で持って零れ落ちた言葉に、何かしら思わない跡部でもなかったが。 ここで余計な事……例えば回答を得られなかった“理由”の部分を追求したとして。 ……これ以上機嫌を損ねる事は出来ない。 「その代わり」 落ちていた視線が上がり、今一度跡部を見据える。 怒気さえも孕んでいそうな、けれどどうやら腹を括った様な、そんな表情で、リョーマが言う。 「条件があるんだけど」 その後に続いた言葉に、跡部は頷き。 そんな逢瀬の約束は、一週間後の日曜に決行された。 約束の日は、思っていた以上の早さでやって来た。 一応とばかりに部屋に散乱していたものを適当に端へ寄せはしたものの、本当にこの部屋にあの男が来るのかと思うと何とも現実味の無い話だ、と思う。 住んでいる世界が違うのだ。これは、彼の事を知れば知るほどに実感する。 だからと言って腰が引けたり卑屈になる様なタマでもない、寧ろ、どうしようも無いなこの人……なんて呆れる事も多々あるくらいで。 だからこそ余計に、彼との繋がりはテニスだけで、テニスをしている時、テニスに関わっている時だけ、どうやら自分達は、同じ世界に身を置いているらしい。 そんな相手の家に、遊びに行ったり、それこそ泊まったりとか。言ってしまえば、友人以上の付き合いがある、というのも可笑しな話だ。 何でこんな事になったんだろうか……なんていう根本的過ぎる部分にまでリョーマの思考が到達しかけていた時。玄関のチャイムが鳴った。 ベッドに寝そべっていた体を起こして立ち上がり、部屋を出るべくドアを開ける。 しかし一度振り返り。二度目のチャイムを無視して今し方寝転がっていたせいで乱れていた布団をぽんぽんと叩いて慣らし、三度目のチャイムに急かされて階段を駆け下りた。 玄関の引き戸を開ければ、少し先にある門の所に立つ跡部が見えた。 踵を潰して履いた靴でそこへ行き、もうとっくに諦め切った表情で、その門を開ける。 「……イラッシャイ」 こうして跡部は、越前家へと足を踏み入れた。 慣れない手で淹れるよりは遥かにマシだろうと、市販のペットボトル緑茶を来客用グラスに入れて。 自分用の分と二つをお盆に乗せ、先に通した自分の私室へと向かう。 ドアを開ければ、「どこに座ったら良い」と訪ねられて指したベッドに腰を下ろし、興味深げに狭い室内を見回している跡部が視界に入った。 「……そんなにジロジロ見んな」 後ろ手にドアを閉めながら言って。 今し方入れて来たばかりなのに既に汗をかき始めているグラスを差し出す。 「お茶」 「……へぇ」 「……今何か失礼な事考えただろ」 「別に」 それを受け取りながら、からかいを含んだ、大方、お前でも来客に茶くらい出せるんだな、とか何とか思っているのだろう笑みに憮然としながら。 机から引っ張って来た回転椅子に座って、自分の分を口へと運ぶ。 先ほど、手土産だと渡された包み……袋のロゴから洋菓子系だと分かる……を開けるべきだろうか。それとも、戸棚を漁って何かしら茶菓子を出すべきだろうか。 跡部の家に行った時には、いつも使用人さんとかメイドさんが、銀のワゴンやプレートに乗せた飲み物と茶菓子を出してくれるけれども、一体自分はどこまでするのが普通なのだろう。友達が来た時や、逆に自分が行った時はどうだっただろう。スナック菓子の袋を数袋、ペットボトルを丸々一本、そしてコップ。そんなものだったんじゃないだろうか。 しかし跡部相手に……いや相手が誰であろうと大して変わる事でもないが、何せ彼の家での来客に対する待遇は、あまりに通常と違い過ぎて。 内心で色々と考えて行動に移しあぐねているリョーマに対し、跡部はごく上品に緑茶を一口飲み。 何の違和感も見せないその表情がそれこそ読めなくて。リョーマは諦め半分に、自分の分の分を飲んだ。 「道、分かった?」 「あん?タクシーを使ったからな」 「……駅からそんなに無いんですケド」 「約束は、守っただろう」 何か悪いか?と言いたげに、片眉を上げた跡部。 これだから金持ちは、と今更呆れる事すら疲れてしまうが、しかし本当に守られた約束に、逆に何故、そこまでして家に来たかったのかを問いたくなる。 以前、タクシーは安いガソリンの臭いが充満しているから嫌いだと話していたのを覚えているからだ。 リョーマが提示した、越前家へ訪れるための条件とは、二つ。 一つ目は、いつものリムジンは使わない事。リョーマが自宅へ送って貰う際にも、道幅の関係と近所の目があるので、少し手前の大通りで下ろして貰う事にしている。 もし跡部が家に居る間中近くの道で待たれているとしたら非常に厄介なので、提示した条件だ。 二つ目、これこそがリョーマにとっては最も重要な事で。 絶対に、家に誰も居ない時に来る事。 もし直前に家族の外出がキャンセルになったとしたら、跡部との約束もドタキャンするという事。 この部屋の中で明らかに異質である跡部の存在。 不思議だ、物凄く。 いつも自分がゴロゴロと寝転がっているベッドに、跡部が腰を下ろしている。 そう言えば、跡部の部屋は寝室が別室になっている。部屋のドアを開けて、そこに応接セットだか何だかがあって、その奥にあるもう一つのドアが、寝室へと繋がっている。 だからこそ余計に違和感があるのだろう。寧ろ、跡部にとってこそ余計に、ではないだろうか。きっと彼にとって、ベッドはお茶を飲む場所ではないはずだ。 「……何だよ」 怪訝な表情でそう言われて、その時初めて、自分が跡部を凝視していた事を知った。 いつの間にやら緑茶はその量を半分に減らしている。口に合うか合わないか……合わなかった所で家にはこれしかないのだけれど……と少しだけ考えて、けれどどうしようもないのでそのまま出したその緑茶を、意外と気に入ったのか。はたまた手持ち無沙汰に飲むしかなかったのか。 「いや……別に」 「見惚れたか?」 「ない」 瞬間的に返す言葉に、それでも跡部は笑った。 あくまでもいつも通りでしかない跡部に、何だか緊張している自分がバカらしくなって来る。 リョーマは、分からないくらい小さく息を吐いて。残っていた緑茶を一気に飲み干した。 「……落ち着かないんじゃない?」 リョーマの言葉に、跡部の視線が上がる。 「あん?」 「アンタん家、トイレですら馬鹿に広いじゃん」 ウォークインクローゼットの広さが、丁度この部屋と同じくらいはあったのではないだろうか。 そんな家に住む人が、この部屋で落ち着けるはずもない。 しかしリョーマの予想とは裏腹、跡部はいたって真顔で答える。 「普通はこんなモンじゃねーのか?イレギュラーなのはこっちの方だろ」 リョーマは素直に驚いた。 まさか、跡部の口から常識通りの“普通”が出て来るとは思わなかったのだ。 「そりゃあ……そうかも、だけど」 少し言い淀みながら、次の言葉を探していたその時。 ドアの外から、カリカリカリ、と小さな音が聞こえて。リョーマの表情が、悪戯に輝いた。 「あー……ちょっと、コップ貸して」 「あん?」 「避難させとく。そんで、ドア開けてよ」 そんな変化に気付かない跡部ではなかったが、勘繰りながらも言われた通りにドアを開けて。 「ホァラーーーー!!」 「っ!!?」 リョーマの愛猫、カルピンの突撃をまともに食らったのだった。 「な、っ……!?」 「おー……ナイスキャッチ」 丁度胸元辺りに飛び付いたカルピンを上手く抱きとめた跡部に、リョーマは拍手付きの賞賛を贈る。 したり顔のリョーマに、やってくれたな、と眉を顰める跡部だが、慣れた手付きでカルピンを抱いたまま再びベッドに腰を下ろす辺り、さすが同じく猫を飼っている者という所だろうか。 いつもは自由気侭なカルピンも、その腕の中を気に入ったのか。大人しく太い尻尾を動かしている。 「これが噂のカルピンか」 「そ。でも……ふーん?意外かも」 「何がだ」 「カルは気紛れな気分屋だから。初対面の人の腕で、大人しくしてるって珍しい」 ゴロゴロと喉を鳴らしながら、撫でられるままに体を任せているカルピン。 すると跡部は少し間を置いて、笑った。 「ペットは飼い主に似るって言うからな」 その言葉の真意が分からず、首を傾げたリョーマが。 一気に赤面し、「何言ってんだよこの勘違い野郎!!」と、今までにない言葉で罵って。 その怒号に驚いたカルピンが慌てて逃れ出て。 空いた手で、今度はその飼い主が捕まえられて。 結局は。 「ま、お前くらい小難しい方が、落とし甲斐もあるってもんだ」 「落とせてるつもりで居る訳?まだまだだね」 「あーん?……証明してやろうか」 「冗談!!」 そんな二人のやり取りを、じっと見つめるカルピンだった。 END (2008/05/07) 大加さまへ捧げます「跡部様、リョーマの部屋へご来襲」跡リョで御座います。 と言うかもう本当にすみませ……!!リク頂いたの九月とか半年以上経ってるとかもうもうもう!! これでお誕生日(九月末の!)祝い、とかって、誰が覚えとんねんっつー話ですよネ……!! しかもリク内容何だっけトロフィーどこ行った!?という……いやもう、重ね重ねすみませんジャンピング土下座!! 折角越前家へ跡部がいらっしゃるなら、親父かカルピンか、どっちかと絡めなくちゃと思って。 そして両親への紹介はちょっと早過ぎるだろ(笑)っつー事でカルピンで。 本当なら、寧ろ跡部に全然靡かないカルピン、の方が良いかと思ったんですが。可愛らしいリョーマが書きたかったので、今回はこんな感じで。 超難産でした。多分半年くらいかけてちょこちょこ書いてました(笑) なので、前半と後半、文体変わってるヨ……!! こんなですが……と言うか今更過ぎて差し出す事すら恥ずかしい限りなんですが。 煮るなり焼くなりお好きにどうぞ!!という事で。 お誕生日(プラス半年と二ヶ月/笑……えない)おめでとう御座いま……した!! 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