BUBBLE TRIP
やたらと賑わいを見せる町並みを、ブラック・キャブがすり抜けて行く。
背の高いロンドンタクシーの中、ただ窓の外に映る景色をその目に映しては流しながら、跡部は一つ、溜息を吐いた。
予定していた時刻より、大幅に遅れている。かと言って、運転手を急かす訳にもいかない。
ただでさえ人通りも車も多い、今日という日だ。渋滞の一歩手前で停車せずに動いているだけ、まだマシというもの。
どこの国に居ても、今日という日は同じだ。華やかで、煌びやかで、煩いほどにご機嫌で。
元より、イベント事には然程執着しない性質だ。どう過ごそうが一日は過ぎて行くのだから、楽しめるだけ楽しんだ方が得だ……なんて考え方は、どうやら出来そうにもない。
「Have a nice day!」なんてお決まりの言葉を口にしながら笑った取引先のあの男も、そう言えば会議の間何度か時計を気にしていた。
この後の予定があるのだろう。「こんな日まで仕事をするなんて、流石日本人は勤勉だな」と言うあの台詞に尖りを感じたのは、そのためか。
嫌ならば断れば良かったのだ。勿論そうすれば、この話は無かった事になったのだろうが。
知らず、そんな風に考えて舌打ちを打つ自分に気付き。跡部は今一度、溜息を吐くはめになった。
原因は、昼過ぎに飛び込んで来た一つの電話。
「そっち行くから」なんて簡単な言葉で、ニューヨークからの来訪を告げた相手。
来年頭に大きな大会を控えて調整中のはず、だからこそ時間が取れたと言うのも頷けるけれど、もしもこちらの都合が悪かったらどうするつもりだったんだ。
……なんてごく正常な文句さえも紡ぐ事が出来なかったのは、「じゃ、今から乗るから」と、電話を電源ごと切られてしまったからで。
思いつきで行動しているとしか思えないその突飛さは、実はもう何年も前から、寧ろ彼らしさとも言えるほどだ。
そしてまた、それがごく限られた……自惚れてしまえば、自分限定で発揮される傍若無人っぷりだという事を知っているからこそ、拒む理由にはならない。
結局の所自分は、誘われたクリスマスパーティーを当日になってキャンセルする様な不誠実な真似を、彼のためならば平気で出来てしまうのだから頂けない。
「海外から大切な友人が来る事になった」……勿論本当の事なのだが、パーティーの主催者である同じ大学の同級生は、「彼女を作らないと思ったら、やっぱり日本に居たんだな」なんて、ある意味では勘違いも甚だしい、元を正せば間違ってはいない、そんな情報を恐らくは、吹聴して周ったに違いない。
否定するのも面倒で「あぁ、まあな」と曖昧に返しながら、謝罪を入れた。
大学と、仕事と。二足の草鞋を履きながら多忙な日々を送っていても、けして辛いと思わないのは、こんな日があるからなのかもしれない。
つまり結局は、嬉しいのだ。
「Have a nice day!」……上等だ。あと数時間しか残ってはいない今日という日を、存分に楽しんでやる。
夕方に繋がった電話で宿泊先を聞き、会議が終わってからはまたしても繋がらないそれをコートのポケットに入れつつ。
漸く見えてきた聳え立つ高級ホテルの明かりに、目を細めた。
数ヶ月前。国も季節も違う場所で、同じ様な事をした。
乗り込んだエレベーターはホテルと同じく豪華な作りで、何だかあいつには似合わないと。そんな事を思っている間に、目的の階を告げる音が鳴り響く。
降り立ったフロアは全面絨毯張り。デジャ・ビュでもジャメ・ビュでもないこの繰り返しは、けれど以前とは余りに心境が違い過ぎて。
ボーイに案内されたドアに、フロントで渡されたカードキーを差し込む。
「自分を訪ねて来る跡部様というお客様に、キーを渡す様にと仰られて」……と。フロントスタッフに礼を言いながら、こうなったら部屋で何をしているのか分かり切った様なものだと、『OPEN』を示して緑色に光るランプを横目に、そのドアを開ける。
案の定、リビングには姿がない。ソファに脱いだコートとマフラー、そして鞄を置きながら、次に居るだろう場所に足を向ける。
真鍮のドアノブを押し開けた先はベッドルーム。しかしそこに、彼の姿はない。
十中八九寝ているものだと。そのつもりだからこそフロントに言付けたのだと思っていた跡部は少し眉を寄せながら、しかしクイーンサイズのそれに明らかに寝乱れた形跡を見て、ならばあそこしかないか、と見当を付ける。
再びリビングに戻り、今度は逆のドアを開ける。
微かに漏れる水音と、機嫌の良い鼻歌。そして適当に脱ぎ散らかされた衣服を見とめ、漸く一つ、息を吐いた。
乳白色のバブルバス。
四人は楽に入れるだろうジャグジーを一人で占領している、濡れ黒髪のその男。
「……随分とご機嫌だな」
ドアを開いてそう声をかければ、ぴたりと止んだ鼻歌。
そうして振り返るその人こそ、跡部の感情をあちこち揺り動かすたった一人の人間。
越前リョーマは、大好きな風呂を存分に堪能しながら、にやりと笑った。
「遅かったじゃん。昼寝し過ぎていつの間にか夜だし」
「着いたのは夕方だろうが。そこから寝ようってのがまず理解出来ねぇ」
「中途半端なんだよ、フライト時間七時間って。もっと長いか短いかじゃないと」
「そんだけ寝れば十分だ。時差ボケしねぇ訳だぜ」
全身泡だらけになりながら縁に肘を付き、まあね、と笑ってみせる。
そんなリョーマに毒気を抜かれて、跡部も自然と笑っていた。
秋に行われた世界大会の際、時間を見つけて応援に行って以来の再会は、一週間に一度程度の電話では埋められない想いを一気に満たしてくれる。
それに。
「ちょっと」
「……何だよ」
「いーから」
小さく手招きをされて首を傾げつつも、言われた通りにその距離を縮めれば。
「っっ!!?」
―――バシャン!
鍛えられたその腕力で持って、泡で埋もれるジャグジーに引きずり込まれる。
「てっめ……っ!!何考えて……っつ」
勿論服を着たまま濡れ鼠となった跡部は、再び沈黙を余儀なくされた。
ぐっしょりと濡れたスーツの胸に、しなやかな裸体が乗り上げて。
たっぷりと潤った唇が、跡部のそれを奪っていた。
久しぶりのキスはいきなりにディープで激しく。
突然の事に一瞬我を忘れた跡部が、簡単に火を点けられてしまう程度に、熱く濃く。
泡に塗れたその頭を引き寄せ、与えられる倍以上で応える様に、より深く。
悪戯心を爛々と灯したその瞳が、長い睫毛に湯の雫を溜めながら瞬き。
熱い吐息と共に漸く離れた唇は、この上なく官能的に赤く染まっていた。
そうして限りなく近い距離で囁く、極上のアルトボイス。
「そんな事より、何か言う事ないの」
だから跡部は、襟元のボタンを一つ外し、乗り上げる体を反転させて耳元で囁き返す。
「Happy Birthday, リョーマ」
完全に湯を吸った衣服は余りに脱ぎ辛く、それでも、早く早くと急かすその腕が半ば毟り取る様に暴いて行く。
その合間合間で堪え切れずに交わされる口付けに、この時ばかりは、聖夜の奇跡、なんてロマンティックな響きはあまりにも似つかわしく無くて。
それでもやはり、恋人達のクリスマスは。
凍える様な窓の外に反して、どこまでも熱く甘いのだった。
END
Happy Birthday RYOMA !!
どうしても「バブルバスで着衣入浴→いちゃいちゃ」が書きたかったので、どうせだから長編設定で大人っぽく。
リョーマさん相当大胆ですが、大人だから良いの良いの(笑)
ずーっとやりたかった事なので、書けて超満足です!
こんなだけど精一杯祝ってます。おめでとうおめでとう!!
そして皆様、Merry Christmas !!
(2008/12/25)