Please tell me by the lips. [2]



ただ見送るだけの毎日は、あっと言う間に過ぎていく。
以前の様に放課後は、意味も無く音楽室に入り浸る日々。今までならばテニスコート、または生徒会室で業務にあたっていた。どちらも引退した身で、暇を持て余す……と言えばそうなのだろう。
気持ちの入らない演奏は、ピアノにも悪ければ自分にも悪い。それでも弾かずにいられないのは、他に打ち込むものを無くしたせいか。

……連絡を取らなくなって、一週間が過ぎた。
今回ばかりは向こうに非は無い。あの場で追いかけるべきだったと、分かっていたのに動かなかったのだから尚更。
―――部活がある、と。もう何度言われたセリフだろう。
その度に積もって行く薄暗い感情が、間違っている事も知っている、ただ。
何もかも、とは望まないけれどせめて……せめて。そう願う思考こそ、馬鹿げているのだろうか。

コンコン。

どこかで聞いた様な音が聞こえて、暫くするとドアが開いた。
顔を出したのも、以前と同じ人間。

「跡部ー、ちょっと良い?」

違ったのは、覗かせた顔が既に笑みを湛えていた事だろうか。酷く嬉しそうに笑っている頬には、走ってでも来たのだろうか、少し朱が射していた。

「……機嫌が良さそうだな」
「まーね!」

縁がゴムで覆われたドアが閉まり、鈍い音を立てて止まる。
早足に近付いて来たジローは、ちょっと退いてと跡部を立たせ、革張りの椅子へと腰を下ろした。

「?……おい」
「思い出したんだって、この間言ってた曲!だから、一番に跡部に聞かせようと思って」

そう言ってから一呼吸。
ジローが奏で始めたのは、久しく耳にしていない、けれど擦り込まれたかの様に忘れない曲。

頭のワンフレーズを弾いて、ジローは鍵盤から指を離した。

「ね、昔幼稚園でやんなかった?あの時俺さ、跡部にコレ、教えて貰ったじゃん」

きらきら星は、元々はシャンソンだと言う。それが童謡として世界中に広まり、今に至る。
ジローが小さく口ずさむのは英語で、そう言えば氷帝の幼稚舎では、どちらも習った様な気がすると思い出した。

「俺、星が欲しくて。画用紙とか折り紙で作った星じゃなくって、キラキラしてる本物のヤツ。でも取れっこないから、泣いたよねー」

恥ずかC!と、今更ながらに照れるジローの話を、跡部はただ、黙って聴いていた。

「その時跡部が、この曲の弾き方教えてくれて。言ったじゃん」

そう、あの頃と、何一つ変わらない笑顔で笑う幼馴染。
記憶の中の幼いジローに、跡部が言ったという言葉は。

「星が欲しいなら、自分が星になれば良い。キラキラしてるものには憧れるけど、自分も星になったら、きっと同じだ……ってさ」

届かない、と手を伸ばして嘆くより、その位置に自分が行けば良い。
そうすれば、望んだものは実はすぐ傍にあるのだと……気付くから。

まるで、霧が晴れたかの様だった。
幼い頃には見えていたものが、見えなくなってしまうのは免れない。けれど。

「俺にとってはさー、あの時の跡部は、お星サマに見えたんだよ?だから俺もテニス始めたんだ。跡部にばっか先行かれるの、何かくやCじゃん?」

相変わらず追い越せないけど。
そう言って今一度鍵盤へと向かう指を視線で追いながら、跡部は一つ、溜息を吐いた。

ジローほどの柔軟な発想があれば、こんな悩みは持たなくて済むだろうか。
けれど、それを羨ましいなどと思うのはそれこそ傲慢で。答えを提示してくれたジローに、あまりに失礼だ。

……自分が自分であることこそが、きっと。

再び奏で始めた拙い旋律に乗せる様に、跡部は一歩を踏み出した。





「機嫌、直ったワケ?」

相変わらずの大きなテニスバッグを背負って校門から出て来たリョーマは、開口早々そう言い放った。
腕が疼くのはその体を抱き締めたいからで、それを顔に出さない様にするのが自制心で。
それらのバランスが崩れた。それが恐らく、今日までの自分だ。

「話がある」

そう告げると、リョーマは一瞬表情を変えた。それは本当に一瞬の事で、けれどそこに浮かんだのは、明らかな困惑と少しの切なさ。
……別れ話に通じる、ムードだからだろうか。

「……少し、歩くか」

そう言って背を向ければ、追って来る足音が聞こえた。
これではまるで、あの日と逆だ。校門前での待ち伏せ、再会。あの日は、前を歩いていたのはリョーマだった。
思えばあの頃は……と、振り返るほど時間が経った訳でもないのに、酷く懐かしい気がする。
関東大会初戦の少し前に出会って。それから始まった自分達の関係は、一見すれば大した変化も無かったかもしれない。ただ休日を共に過ごしたり、言葉を交わす中で、行き過ぎそうになる気持ちを抑えれば、フラストレーションは溜まる一方で。

跡部が選んだ場所は、あの日と同じ、小さな児童公園だった。

「何か飲むか?」
「……要らない」

そう言って自動販売機の前を素通りしたリョーマは、以前と同じ、ベンチに腰を下ろした。
視線を合わせようとしないのは、彼らしくない。俯き加減の睫毛が酷く頼りなく見えて、そんな表情をさせてしまっている自分を恥じる。けれど。
少しだけ、嬉しいと。そうも思った。

「話って、何」

憮然とした表情のまま呟いたリョーマが、ちらりと視線を寄越す。
それを受け止めて、跡部は、唇に笑みを刻んだ。

「っ、何笑って、」
「欲しいと思ったのは、お前の視線がいつも真っ直ぐだったからだ」

リョーマは一瞬の空白を置いて、露骨なほどに眉を寄せた。

「何の、話?」
「黙って聞いてろ」

跡部はリョーマの隣に腰を下ろす。困惑をありありと浮かべたリョーマの視線がそれを追って、そのまま跡部を見上げた。

「結局は、これは俺のエゴでしかない」

そんな事はとっくに分かっていた。
分かっていたからこそ言い出せずに、そして言いたくなかった事。

「俺は、どうやら相当、お前を欲しがっているらしい」

その言葉は殆ど囁きで、ともすれば屋外のこの場所では消えていたかもしれなかった。
けれど困惑の表情さえも抜け落ちたリョーマを引き寄せ、前髪の上からそっと額に口付ければ、何テンポか遅れて返って来た反応は小さな抗議。
その手の中で、胸元のシャツがくしゃりと握られる。

「どんな風に?」
「……お前が、どこまで許すか、だろう」

けれどその体は拒まない。
凭れる様に傾く体を抱き込めば、肩口で噛み殺した様な笑い声が聞こえた。

「試しもしないでグズグズ悩むなんて、アンタ結構臆病?それとも……やっぱ卑怯、か」

続いて囁かれたセリフに、跡部が体を強張らせた。
リョーマがすり抜ける様に体を離せば、困惑を浮かべるのは跡部の番で。
指を突きつけて、意地の悪い笑みを浮かべた。

「一週間放っておいた罰と、俺を苛立たせた罰って事で。暫くはオアズケだから」
「おい、お前さっき」
「だからだよ。俺、たったの一度だってアンタを拒む素振り、見せた?」

一歩通行じゃないって事くらい、知ってて欲しいんだけど、と。
小さく呟いて、リョーマは立ち上がった。それを追った跡部の視線を軽く流して、バッグを背負い直す。

言葉にしなくても伝わってくれたら、と思う。
けれどそのための行動を怠って、望むだけなら誰にだって出来るだろう。
人と同じ事をしていて留め置けるほど甘い相手ではない。だから……欲しいと思うのだから。

「じゃーね、俺帰るから」
「……待てよ」
「何?」

さぁ言え、と。言いたげな視線を真正面から受け止めて、跡部は苦笑した。
好戦的な視線の強さは、コート上と違わない。臆病になった方の、負けだ。

「……明日の日曜、部活あるのかよ」

Noと答えたのなら、今度こそ迷わず、その腕を引こう。
そして。

もしも言葉が足りないのなら、唇で語ろう。





―――君が欲しいと、素直に。





END 



副題:プラトニック・ラブ(笑)
んな訳あるかいっ!と私もツッこんでいたんですが、夏から始まって秋まで手を出していない、と。
……たまにはそんな跡リョも。何せこのシリーズ、乙女系ですから。

元々は跡部の誕生日ネタとして書いていたものでしたが、纏まりが悪かったので破棄。
……していたものを掘り起こしてみました。
何せ「跡リョプロセス」ですから、こんな場面を書くのも楽しみの一つでして。プロセスだから出来るネタ。
さり気に跡部は、リョーマの一番がテニスである事にさえ嫉妬しているのですよ。そこら辺も突っ込んで書きたかったんですが、惚れた理由(大元)がテニスである以上、どこまで書いて良いやら悩んだので、匂わせる程度って事で。

ジローはとても良い子です。
跡部と幼馴染説推奨派。

(2006/10/22)

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