06.見出した結論



恋煩い、とは……昔の人はよく言ったものだ。
忍ぶれど色に出にけり我が恋は。……調子が狂う。

触れた唇の温もりが、いつまでも消えない。





「―――べ、……とべ。オイ跡部!」

ハッとして顔を上げれば、そこには見慣れたチームメイトの顔。
いつの間に終わっていたのか……中途半端な数式は解答を導き出す事なく終わっていて、たった今その解答が黒板から姿を消した所だった。
時計を見れば授業終了時刻から三分が経過していた。チャイムの音にも、気付かなかった。

「お前さぁ、どっか悪いんじゃねーの?風邪かよ」
「……いや」
「朝からボーッとしやがって……らしくねぇな」
「お前に心配される様じゃ、俺様も落ちたモノだな、宍戸」

ケッ、と悪態を吐くと、宍戸は席に戻って行く。
数式を書き終えたノートを閉じて、息を吐いた。
……どっか悪い。……強ち、外れてもいないかもしれない。

あの後、住所と表札を照らし合わせて着いたのは、それなりに立派な日本家屋。裏には寺らしき建物があり、すぐ分かると言った越前の言葉は間違っていなかった。
膝の上で眠り続けている越前を起こしてやると、またしても“しまった”という顔をして、ばつが悪そうに謝られる。
罪悪感にも似た感情が、湧いた。
―――何故そんなにも、無防備で居られるのか。
見当違いの苛立ちを抱えて、それでも勤めて冷静に、その場を後にした。車が角を曲がり大通りへ出た時、やっと深呼吸をした。……いや、溜め息か。
何をしているんだ、俺は。……そう思いながらも、実際はどこかスッキリしている部分もある。
結論が出た。悩み続けるのも、答えを放置するのも柄じゃない。
つまりは―――そういう事なんだろう。

酷く肩が凝っている気がして、緩く首を回す。肺の奥に溜まっている“何か”が苦しくて、気休めのストレッチで何が変わる訳もない。
その“何か”が分からないほど子どもでも無いが……。

「あーとべー」

ベランダ側の一番前の席は、陽射しが強く入るせいか常に温かい。夏場である今などは、薄いカーテンを引いていなければ眩しくて授業にならないほどだ。そのカーテンの隙間から自分を呼ぶ声がしてそちらを見遣れば、クリーム色のカーテンから金色の巻き毛が見えていた。

「……ジロー、何だ」
「あれ、何で分かんの?」
「それで隠れてるつもりだったのか?」
「……おかCなぁ」

頭を掻きながら現れたのは隣のクラスのジロー。今日はどうやら覚醒モードの様だ。
珍しいな……とその顔を見れば、視線に気付いたのか少し笑う。

「何の用だ?また教科書か」
「違うってぇ、今日は忘れてないよ。……跡部がさ、何か……いつもの跡部じゃないから」

こいつもか。
どうやら余程情けない顔をしているらしい自分に辟易して、思わず溜め息を吐く。

「なぁ、何か病気?めったに体調崩さないのにさーぁ、跡部のそんなカオ、久し振りすぎてコッチが戸惑っちゃうよ」
「そんな顔……か」
「いつもだったらピーンとしてんのに。……何か、あった?」

しゃがみ込んで机に顎を乗せたジローは、そのまま俺を見上げた。
昔からこの顔には弱くて……それに、誰かに相談でもすれば少しはマシになるのかと。……けれど。

「別に……」

そうとしか言えない。
自覚しているからこそ性質が悪い。この……症状は。

「言いたくない?……なら、無理には聞かないけど、ね」
「ジロー、それはなぁ、恋の病っちゅーヤツやで」

割り込む様に響いた低音に視線を上げれば、同じカーテンから顔を出した忍足。
……次から次へと。全く、暇な奴等だぜ。

「あー……やっぱり」
「何や、気付いとったんか」
「気付くって言うか……んー、他に思い付かないって言うか」
「オイちょっと待てお前ら。本人無視して何を勝手に」

さすがに口を挟むと、二人は顔を見合せて眉を寄せていた。

「だってさぁ、溜め息ばっか吐いて、ボーッとしてるし……」
「典型的な恋の病やん。分かり易過ぎてオモロ無いわ」

諭された所で。

「で?相手は誰なん?」
「ちょっと忍足、それって聞く事?」
「何や、ジローは知りたないんか?かの跡部様を惑わす美女」
「美女なの?」
「いや、知らんけど」

勝手な事ばかり語っては揉め始める二人を視界から追いやって、次の授業の教科書を鞄から取り出した。
何となく見たくないので鏡で確認はしていないが、こう何人もがおかしいと言うのだから、今日の自分は余程なのだろう。

「んで、片想いなん?」

ふいに話を振られて今一度視線を向ければ、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべた丸眼鏡。
……楽しんでやがるな、こいつ。

「……片想いも何も。誰が恋の病だと言った」
「じゃあマジで体調悪い?あんまりしんどかったら、保健室行った方がいーよ」
「いや、そこまでじゃない」
「『アンニュイな跡部様も素敵ー!』……って、女子が騒いどるで。お前に本命が出来たやなんて知ったら、大騒ぎやろぉな」
「おい忍足、だから言ってるだろうが」
「……まぁ、跡部がそう言うんやったら、えぇけど」

押したと思ったら引いてみる。誘導尋問でも受けてる気分だ。
頭痛がする気がして溜め息を吐くが、それでも肺の……胸の奥のつっかえが取れるはずもなくて。

「……重症、やなぁ」

そう呟いた忍足の声さえ億劫で解散を促す様に手を振れば、二人は顔を見合せ、諦めたかの様に息を吐いた。

「でもさ跡部、お節介かもしんないけど、一個だけイイ?」

ジローに続きを促す。

「溜め込んで、一人で解決しようとするのは跡部の悪い癖じゃん。無理に聞こうとは思わないけどさ、跡部が動かなかったら、どーしようも無いんじゃないの?」

小さく諭すように言った後、ジローと忍足はカーテンを潜って去って行った。

忍足は聡い奴だから人の心の動きに敏感な様だが、普段は寝ているばかりのジローは、あれでいて人を良く見ている。
付き合いが長いせいか。あいつの言葉がやたらと頭の中で響いて、思わず眉根を寄せた。

恋の病……成る程、その通りなのだろう。自覚している。
あの時思わず触れてしまった唇は、本当は、思わずでも何でもなくて、ただ。
触れたいと思ったから、触れただけなのだ、と。

―――これが恋でないのなら、何を恋と呼ぶのか。





放課後の夕暮れ時。
見慣れない学生服が疎らになり始めた時間。そろそろ、終わっても良い時間帯だろう。
大きく息を吸って、吐いて。自然と滲んで来る手の中の汗を握って、唾液を飲み込んだ。

答えを放置するのは―――柄じゃない。







言葉で伝えきれる自信がないほど
君を
(2006/10/03) BACK