03.視界、遮断



手の中の紙に書かれた『15』の数字に、笑みを隠せなかった。
都大会五位通過の屈辱も、この瞬間ばかりは頭から吹っ飛んだ。
生まれ持った運に、感謝した瞬間だった。





「やぁ跡部くん」

そう声をかけて来た人間が誰なのかなど、振り返るまでもなく分かっている。
だからこそ無視を決め込む様に歩を進める足を急がせるが、遠慮の欠片もないその人間は回りこむ様にして前へ出た。

「無視しないでよー酷いな」
「……俺様は急いでるんだ、お前の相手をしている時間はない」
「つれないなぁ、ジュニア選抜の仲じゃない!」
「補欠のお前と一緒にされたくねーな」

冷たい、と呟いて苦笑したのは派手なオレンジ色。白い学生服が鮮やか過ぎて、思わず目を細める。

「それにしてもさ、ビックリだよね」

足を止める事はしないのに、千石は早足の自分にしっかり着いて来る。
何の用だ、と聞いた所でこいつの意見の半分は理解出来ないので、ストレスの要因を作るのは止めた。

「何がだ」

かと言って無視を続けてもしつこいくらいに食らい着いてくるのは学習済みなので、ぎゃあぎゃあ騒がれるよりは相槌だけでも打ってやるのが得策だ。
扱い方を学んでしまうほどに長い付合いでもないのだが。

「同じ東京代表が初戦で当たるなんてね。いやーウチじゃなくて良かったよぉ」

関東大会以降の氷帝とは出来るだけ当たりたくないからね。
そう言って、やっぱ俺ってラッキー!とガッツポーズをして見せるのを、横目で見た。

「ハッ。亜久津の抜けた山吹が、うちの相手になんのかよ」
「それを言うー?」
「ま、初戦でうちと当たらなかった事を俺様に感謝して、精々頑張るんだな」

そう言ってふと前を見た時、見知った背中を捉えた。
視線の先を追ったのか、隣にいた千石も前を見据え、明るい声を上げた。

「手塚くーん!」

呼び止められて振り返る長身に、自分でもそうと分かるほど笑みが浮かぶのを感じる。

「千石。跡部も一緒か」
「また会ったね。本当にくじ引き無いんだから、俺何のために来たんだよって感じだよー」

隣で頭をかいている千石を視界から外し、手塚を見据える。
相変わらず無表情と言うか無愛想なヤツだが、同じく此方を見ていた視線とかち合った。

「まさか初戦で当たるとは思わなかったが……遅かれ早かれ、お前との決着はつけるつもりだったしな。丁度良い」
「そうだな。互いに勝ち進めば自ずと戦う事になる。……良い試合にしよう」
「ああ、そのつもりだ」

去年の関東大会では、シングルス2での出場だったため手塚との試合が実現していない。
しかし手塚は当時の氷帝の部長……自分の先代を負かしている。二年の頃から……いや、一年の頃から手塚の実力は特出していた。

「ウチの事は眼中に無しって感じ?ってゆーか、俺の事も眼中に無し?」
「何だ自覚してたのか?分かったらさっさと消えろ」
「跡部くんって何気に酷いよね……」

泣き真似をしながら自分達を追い越して行った千石の視線の先には、同じ白い学生服の人間。
山吹の部長か。……何という名だったか思い出せない。

「氷帝の調子はどうだ」
「あん?」
「てっきり都大会で当たるものだと思っていたからな」
「あぁ……その事か」

跡部は目を細め、唇に笑みを刻んだ。

「確か不動峰は、お前らと地区予選で当たったんだろ?正直、甘く見過ぎてたぜ」
「初めは俺も気付かなかった。獅子学中の橘……まさか東京に来ていたとは」
「まぁあいつには、感謝しねぇとな」
「どういう意味だ?」

跡部は、挑発する様に手塚を見る瞳を細める。
眼前の手塚の眉間の皺が増えたのが分かった。

「初戦での試合って事は、負けたらそこでThe Endだ。後々ずるずる引き摺るより良い」

一発勝負の舞台。出来るなら関東大会決勝の大舞台が望ましかったのだが……。
後が無い、という極限状態での試合は、跡部にとって好ましいものだった。いずれ必ず当たるのだ。それならば万全の状態である今の方が良い。

「……俺達は、負けない」
「その言葉、後悔させてやるぜ」

数秒の睨み合いに水をさしたのは、後ろから聞こえた手塚を呼ぶ声。
振り向けばそこには青学の大石。その後ろには樺地も居た。

「手塚、そろそろバスの時間だ」
「あぁ。行こう」
「それじゃあ跡部、俺達は失礼するよ」
「今年のうちのダブルスは一味違うぜ。首を洗って待ってろ大石」
「ハ、ハハハ。お手柔らかに頼むよ」
「それから……手塚」
「何だ」

跡部は思い出す様に一瞬視線を逸らせ、そして今一度手塚を見据えた。

「お前んとこの一年……越前リョーマだったか」
「……越前がどうかしたか」
「なかなか面白そうなヤツじゃねーの。ま、どんなヤツを出して来ようが、勝つのは氷帝だ」

手塚は言葉を返す事なく、踵を返した。隣の大石が不思議そうな顔をしていたが、それに何か言葉をかける事はせず、跡部も数歩後ろに控える樺地へと向き直った。
―――良い目をしていた。
どこまでも貪欲に上を目指す者の瞳。不遜で生意気。久し振りに出会った、真正面から挑発する色。

「……樺地、先に帰れ」
「ウス」
「それから……あの二人だが」
「……」
「近々動くだろう。何かあったら携帯に連絡しろ」
「ウス」

勝利に対して貪欲なのは、好ましい。跡部自身も自覚している、自分もそうだ。
所用で残っていた日に見た、ナイターコートでの反射練習。……恐らくは近日中に、誰かが。

見上げた空はあの日と同じ、どこまでも爽快な青。





跡部が足を伸ばしたのは、以前のストリートテニスコート。姿を現した跡部に、その場に居た数人のプレーヤーは顔を見合せ、何も言わずに引き上げていった。恐らくは樺地と二人で来た際に当たったか何かなのだろうが……生憎記憶に留まる様なプレーヤーではなかった様だ。

この場に再び来たのに、大した理由はない。足が向いた、としか言えない。
しかし跡部は、今日この日自分に備わっているらしい幸運に笑みを刻んだ。千石では無いが、どうやら相当ついているらしい。

「……よぉ、青学ルーキー」

離れた所で壁打ちをしていた、その場に唯一残った人間に声をかける。
彼は……リョーマはバウンドしたボールを右手で掴んで、視線を上げた。

「……あぁ、アンタか。大将サン、今日は一人なワケ?」
「……生憎うちは、馴れ合う様な部活じゃない」
「サル山じゃないって事?ま、どーでもイイけど」

何か用?と、相変わらずの調子で跡部を見上げた。
数十センチは下の目線だろうに、その強さは変わらない。初めて見た時と同じ、強い光と面白そうに笑った唇が印象的だった。

「お前らの初戦の相手は、俺達氷帝だ」
「……へぇ」
「まぁどこと当たろうがうちは負けない。お前らの出番もここまでだ」
「それはこっちのセリフ。っつーかアンタ、強いの?」
「さぁ?自分で確かめてみろよ」

片眉を上げれば、ふうん?とリョーマが笑う。

「相手してくれんの?あの時は逃げたくせに」
「生憎俺は、軽々しく他校生と試合出来るポジションじゃねぇ」
「なら、邪魔なんだけど」

リョーマがラケットを持ち直し、背を向けた。
剥げかけたペンキの白に、一点だけ黒い跡がついている。……コントロールは悪くない様だ。

「手塚に引導を渡すのはこの俺だ。お前の相手はその内してやる」
「部長は、アンタみたいに口ばっかのヒトには負けない」
「俺様の実力も知らずに生言ってんじゃねぇよ」
「なら、今から打とうよ」

スッ、とラケットが突きつけられる。
斜め上を見上げるリョーマの視線に、あの時と同じ感覚を覚えた。
―――だが。

「楽しみは後に取っとくもんだろ?」
「自信ナイんだ?」
「何とでも。……精々腕を磨くんだな。初戦まで時間は無いぜ」

今度は跡部が背を向けた。
背中に突き刺さる強い視線に、高揚感が高まって行くのを感じる。

「ねぇ」

跡部は足を止め、振り返った。
薄汚れた白い壁の真ん中に、くっきりと浮かぶその存在。

「引退の準備しときなよ。俺が、止め刺してあげるから」

アンタまで試合回らなかったらゴメンね。
そう言って壁打ちを再開した背中を見て、跡部は笑った。

鼻持ちなら無いガキだが、どうしてか、腹が立つ事はなかった。
気付いていたからかもしれない。 ……彼と自分は、似ている。

跡部が後にしたテニスコートでは、リズミカルなインパクト音が響き続けていた。 




そして数日後。
氷帝は、その少年の手によって終止符を打たれる事になる。






感じているシンパシー
それはまだ、ほんの入り口
(2006/09/29) BACK