02.予感



彼を知ったのは、定期購入しているテニス雑誌だっただろうか。
中学一年異例のレギュラー。名立たる強豪校を次々と地に沈める今年度最強ルーキー。
彼を装飾する言葉は色々あった。
くだらないと思っただけだった。
中学一年のレギュラーなら、二年前なら自分や、青学で言えば手塚、神奈川の立海ならば三人も居た。何も異例な事ではない。
アメリカからの帰国子女。ジュニア大会四連覇。公式戦の負け記録は未だ無し。
彼に大絶賛を浴びせる字面をサラリと流し読みした後、跡部は雑誌をテーブルに戻した。
たまたま他の一年が不甲斐ない中で、彼だけが突起した。それだけではないか、と。そんな事を思いながら。





「お前が例の青学一年レギュラーか」

跡部のセリフに、彼が視線を上げた。キャップの鍔に隠れた大きな瞳がゆるりと此方を向いて、興味深げな色を浮かべる。
跡部は全国でも有数のプレーヤー、関東ならばその知名度は一気に増し、『氷帝の跡部』を知らない中学テニス部員は東京では少ないはず。
しかし彼は一年、自分に声をかけた人間が一体誰なのかなど知らないのも無理は無い、か。

けれどもそれは、自分の周りも同じだった様で。
怪訝そうな顔つきになったメンバーに向かって、情報収集は基本だろう、と半ば呆れながらも口を開いた。

「あの山吹中の怪物亜久津を倒したらしーぜ」

皮肉を含んだ言い方になったのは、今年度一番注目されている選手(と言うのは雑誌からの受け売りだが)を知らないメンバーに対して。
そして何より、その言葉を受けて彼がどの様な反応を返すのか、それを見てみたいと思ったからだった。

「えっ、あのチビが?」

言葉を返したのは鳳で、意外そうな視線を彼に送っている。
その横で滝も同じ様な反応を返していた。二人共、どうやら彼の事を知らなかった様だ。

亜久津……シングルスの選手で、コート上で煙草を吸ったりと、あまり良い噂は聞かない。コート外でも内でも関係なく、酷く暴力的だと言う。
けれど強い。そう言って苦笑して見せたのは、去年ジュニア選抜で一緒だった千石だった。
かく言う千石もコートに沈んでいる。彼の実力はよく知っていた。補欠とは言えジュニア選抜合宿に参加した経歴は伊達じゃない。その彼に勝利したのが、今目の前にいる桃城だった。
千石、そして亜久津。ダブルスが二組共全国クラスを誇る山吹に、ウィークポイントだったシングルスの補強が加わって、今年は少しは楽しめそうだと思っていた矢先の出来事だった。
氷帝が無名校に負けた事も、シングルスを補強した山吹が負けた事も、青学が優勝した事も。全て予想外としか言い様がない。
けれど裏腹に、武者震いの様なものも感じていた。
……青学には、手塚がいる。
青学で燻っているのが勿体無いほどの選手だ。そして自分とまともに試合の出来る数少ない選手の一人。
彼のテニスが、純粋に好きだった。高潔でいて、そして強い。
関東で、必ず当たるだろう。舞台が都大会から関東大会へと上がったのは、演出としては良いかもしれない。
けれど最近手塚のテニスを目にする機会が減っている。勿論全力を出す様な相手との試合が関東大会以下で求められるとは思わないが、大概彼の出番の前に片が付いてしまうのだ。
それは自校の氷帝でも同じだが……気になるのは、手塚に試合を回さない存在が居る事実。
不二は名実共に青学No,2、跡部もその実力は認めている。乾や、ここに居る桃城も。シングルス枠が硬いのが青学の特徴なのだから、手塚に試合が回らなくともそれは自然なのかもしれないが。
……その存在こそ、今目の前にいるこの少年だった。
シングルス2や3を張り、青学へ勝利を導く存在。それが一年というのは、まるで自分達の代の様だ。黄金期と呼ばれる自分達現三年、手塚や、神奈川の真田や幸村、そして自分。一年の頃からレギュラーを張っていたメンバーが三年となり、今年は十年に一度の名勝負が期待されているそうだ。
そんな時代に新風を送り込む一年生レギュラー。かの亜久津に勝利したのもその一年。
ある意味桃城よりも興味深い選手かもしれない。

そんな事を考えながらそのルーキーを見やるが、一度だけ絡んだ視線は今も外されたままだった。
忍足や岳人が挑発する様なセリフで桃城を、そして彼を煽っている。彼が現れる前の展開からして桃城の頭には血が上っている様だったが、彼はいたって冷静、興味の無さそうな表情を浮かべている。
桃城との会話を聞いていればごく普通の一年で、雑誌での大絶賛や亜久津に勝利したという事実もどこか真実味がない様で。

けれど桃城やコートに降りた岳人の間を抜け、観覧席へと数歩近付いた彼の視線が、真正面から自分を射抜いた瞬間。
その事実が文字通りの真実なのだと。そしてこの少年は確かに強いと。

「そこのサル山の大将、シングルスやろーよ」

跡部の中の何か……言わば本能が、そう認めていた。

見るからに生意気そうな瞳が、一直線に跡部へと向いている。
雑誌のインタビュー用写真とも、試合中の写真とも違う。……これは挑発の色だ。
―――悪くねぇ。

「あせるなよ!」

自然と頬が緩むのが分かる。唇が笑みを刻む。

「逃げるの?」

そんな不遜なセリフを吐いて、彼はニヤリと笑った。

これはそう……シンパシー。
お互いが感じているはずの共鳴。

この男と、試合がしたい。

跡部は立ち上がった。今ここで相手をする事も可能だが、今はそう、時期ではない。
当たるならば最高の舞台で。そう思わせる何かが、この一年にはあった。

「関東大会で直々に倒してやるよ。青学、お前ら全員、完膚無きまでにな」

そう言い残し、踵を返した。
最後にもう一度流した視線の先では、揺らぐ事なく突きつける様に真っ直ぐな瞳。
挑発をありありと浮かべた表情の中、瞳はただ、喜びの色を浮かべていた。
―――楽しみは、焦れた頃に味わうのが良い。
―――なぁ、そう思わねぇか?

「……侑士」
「分かっとる。……何や気持ち悪いなぁ、跡部の機嫌がえぇやなんて」

後ろから聞こえて来たセリフは聞き流して、跡部は歩を進めた。
相手は一年、しかし今実際に本人を目にして、くだらないと思っていた雑誌の絶賛の文句を、別の視点で捉え直していた。
くだらない、ではなく……陳腐だと。
アイツはそんなもんじゃない。どの様な賛美を文字にした所で、本人の放つオーラの前では無意味だ。

「……面白い」

小さく呟き、空を見上げた。
夕暮れにはまだ少し早いのか、抜ける様な青さに陰りはない。

新しい楽しみが出来た、と。
跡部はその唇に笑みを乗せた。





それは予感
嵐の予感
(2006/09/28) BACK