ファンタとコーヒー、どちらが好きかと尋ねたのなら、悩む事無くファンタを選ぶだろう。
海老煎餅と入浴剤、どちらが好きかと尋ねたのなら、対象が違い過ぎて比べるに値しないはず。
テニスと俺……などと。そんな事を尋ねた所で、どちらを選ぶのかなんて分かり切っていて尋ねるのすら馬鹿らしく。
ならば。あいつらと俺、なら。
……なんて考え、女みたいで俗過ぎる。
スラックスの右ポケットを頻りに気にしては、上からさり気なく触って、溜息。
自覚はしているものの、気がつけば同じ事を繰り返してしまっていた。
『メールするから』なんていう、今思えば適当に返されたとしか思えない言葉を真に受けて、今もこうして焦らされている自分があまりに滑稽で、苦笑さえも浮かばなかった。
同じ部活に属しているとは言え、何より大元の学校が違えば予定も噛み合わない。どちらも所謂“強豪”であるからこそ余計に。その上主力選手なのだから、どちらかに合わせてどうこう、という事も不可能で。
基本的に擦れ違ってしまうのは必然で、分かっているからこそ連絡を取りたい……と思うのは、ひょっとしたら間違っているのか?
そんな風に思ってしまうほどに、彼の対応はいつも素っ気無い。
誰と比べるでもないが……普通なら。その枠組みに嵌まる相手ではないと分かっていて敢えて“普通”を定義するならば。……もう少し、こちらに気持ちを向けても良いのではないか?と。
面と向かって問い質す事は、この行為と思考の情けなさを理解している以上、無理だ。
「……今は話し掛けん方がええって」
ボソボソと聞こえて来た低音を、辛うじて左耳がキャッチする。
その位置にいたはずの人物を脳裏に描き、その言葉の対象が自分である事を感覚的に知った。
「でも、俺早く帰りたいんですけど……」
「アホか。八つ当たりされんの目に見えてんねんで?」
「鳳が行かないなら俺が行きますよ。八つ当たりなんて、される理由がないんで」
「あんなぁ日吉、あいつに常識は通用せぇへんのや。いい加減知っとるやろ」
その言葉が、俺の中の何かに触った。
わざとゆっくりとそちらを振り返ると、チラチラと視線を寄越していたらしい三人が、ほんの僅かではあるがギクリと肩を強張らせる。
「……聞こえてるぞ、忍足」
自分でも負けていないと分かるほど低く出た声に、忍足はわざとらしく笑った。
「跡部部長ー、後輩二人が、練習メニューのチェックをお願いしますー、やって」
それならそうと、さっさと持ってくれば良い。
そんな意味を込めて隣に並ぶ二人に視線をやると、鳳は先ほどより分かり易く身構える。日吉は……表情を変えなかった。
「現正レギュラーと準レギュラー全員の普段の練習メニューから、この二日の調子を見て、来週の強化練習メニューを組みました」
「あの、問題点があったら、指導して頂きたいんです、けど」
差し出される手書きのルーズリーフを受け取って、目を通す。
毎年この時期になると、次期部長候補はレギュラー達の練習メニューを組む。それが部長の大きな仕事であり、そして同時に冷静で確かな観察眼と洞察力、判断力を要する仕事だからだ。
一人一人の体調や経過を観察し、的確な指示を出すのは簡単な事ではない。だからこそ、部長直々に指導をするのが定例だ。
数日前に練習メニュー作成の指示を出した時、既に自覚はあったのだろう、驚きはしなかったこの二人だが、やはり戸惑いはあったのか。丁寧に書かれた文字の下には、何度も消しゴムをかけられた跡が残っていた。
メニューには、現正レギュラー……部長である俺から始まり、勿論本人達も含まれている。
緊張を体全体に現している鳳、全く微動だにせずこちらを睨む様に見ている日吉。
タイプの全く違う二人には、長所も短所もそれぞれある。通常氷帝の部長とはシングルスの腕で決まるもので、シングルスで言えば二年の中で日吉は負け無しだ。だが、公式戦の戦績は、ダブルスではあるが鳳の方が良い。
さて、どうするか。ここは日吉に任せるのが得策なのだろうが、その性格差に多少悩む所がある。
一通り目を通したルーズリーフを二人に返しながら、思ったままの意見を述べる。
「まず鳳。お前の組んだメニュー、悪くはない。ただ、正直少し甘過ぎるな。疲労や体調を考慮してあるのは分かるが、手を抜く事と調節する事の意味を取り違えるな」
「……はい」
「それから日吉、お前のは真逆だ。“強化メニュー”と銘を打ってあるからこそ、度が過ぎると故障に繋がる。無理をすれば良いってもんじゃねぇ」
「はい」
素直に頷く二人を見据えながら、言葉を続ける。
「……で、お前らはどうすれば良いと思う」
鳳も日吉も、若干眉を寄せた。困惑しているのが手に取る様に分かる。
「あの、では書き直しを……」
「このメニューは来週から行う練習で使うものだ。明日の日曜は休日、俺はそのチェックをするためにわざわざ登校するつもりは無い」
「メールで送りますよ」
「悪くないな。だが、もっと手っ取り早い方法があるだろう」
二人の眉間の皺が増える。
遠巻きに俺達三人を観察しているらしい、同じ部室内に居る正レギュラーは残り四人。
三年の内、忍足と宍戸だけは笑みを浮かべていた。俺の言いたい事が分かるのだろう。逆に岳人は首を傾げている。ジローは、眠っている。
樺地は俺の使いで職員室に行っていた。
はっきりしない二人に少し焦れて来たのが数秒後。
しかしここで答えを言ってしまっては、今後こいつらにこの氷帝を任せる事に不安が生じる。
さてどうするか……。俺が口を開こうとした、丁度その時だった。
断続的な器械音が、小さく小さく鳴り響く。ともすれば聞き逃すだろうほどに小さく。
けれどそれは確かな振動を俺の右腿に伝えていて、その音の発信源がどこなのか、何なのかを明確にしていた。
右ポケットに入れた、マナーモードの携帯が。
一瞬、この場の空気を忘れて携帯を取り出そうとした。
だがそれは、やっと開かれた日吉の口によって阻まれる事となった。
「跡部部長は、去年、部長の引き継ぎをどうされたんですか」
「あ?」
「部長候補、他にも居たんですか」
突然何を言い出すかと思えば。
右足の上での振動は今で五度目。三度目を過ぎた時点で、これがメールではなく着信である事が確定している。
日吉の台詞を受け継ぐ様に、鳳が続ける。
「跡部部長に続くのって、ジロー先輩ですよね。先輩も、練習メニュー作成されたんですか?」
振動は、七度目で止まった。
急にしんとしてしまった右足が妙に淋しくて、思わず舌打ちをする。
「跡部、部長?」
「お前ら、俺様以外に部長に相応しい人間が居たとでも言うのか?このメンバーの中で?しかもジローだと?」
これが所謂、忍足の言っていた“八つ当たり”だという事には、言葉を吐いてから気付いた。
そんなつもりでは、と慌てて訂正する鳳と、不満そうにしている日吉と。
俺は自分自身の未熟さに溜息を吐いて、改めてその二人を見据える。
「……とにかく、二人で相談でもしてみろ」
半ば答えそのものの様な台詞を告げて、ロッカーに立て掛けてあった鞄を背負った。
樺地にも、今日の帰りは必要ないと言ってある。職員室へ向かわせている用件も、電話連絡で済む程度のものだ。
呆然としている二年二人と、訳が分からないという風な三年二人と、そして……含み笑いが一人。
それらを一瞥してから歩を進め、ロッカールームのドアを閉める直前。
「ほらな、言うた通りやったやろ?」
そんな声が聞こえて来て、苛立ち混じりに叩き付けたドアは空気がヒビ割れる様な音を立てて閉まった。
ほんの二、三行で終わるのが通常のメールの中に、今週末は連休だとあった。
氷帝の休みは日曜だけだが、土曜の練習が終わり次第迎えに行くから家に居ろ。……と、そんな約束を取り付けたのが週の半ば。
先輩達と出かけるから今日の約束無しにして。……そのメールが入ったのは、部活の始まる直前、今朝だった。
当然の様に抗議の電話をかけるが……三度の発信に応答はなく。
やっと繋がった四度目では、その背後で聞き覚えのある複数の騒がしい声が。
『お前、今どこに居る』
『え?聞こえない……ちょっと桃先輩静かにして下さいよ!英二先輩も……っ引っ付かないで下さいって!!』
『……おい』
『あっ電車来た。じゃあ切るから』
『ちょっ……待て!おい!』
『また後でメールするから!』
その後に残ったのは、味気の無い無機質な電子音のみ。
苛立ち紛れに二つ折り携帯をバチンッ!と音がなるほど強く畳み、鞄に放り込んだ。……のだけれど、すぐさま取り出してポケットに入れた。
そして……今に至る。
校門へ向かう、今は青々と茂った桜並木のアスファルトを蹴りながら、先ほどの不在着信に掛け直す。当然の様に、そこに表示されていたのは今日一日今か今かと待った相手の名で。
二分前の着信だと言うのに、すでに受話しようとしない相手に、苛立ちを通り越して焦りまで生まれて来る。
その言葉通りに、メールではなく電話でだが、連絡を入れて来た。だから多少は、譲歩してやっても良い。
しかし、先に交わした約束を取り消されたのには腹が立つ。しかもその原因が、俺のよく知る例の連中にあるだろうから余計に。
そしてまた、電話に出ない……。
七回目のコールで、留守電に切り替わった。舌打ちをして、携帯を畳む。
あいつらと俺と、どちらが……などと、聞くつもりはない。一緒にされたくもない。
俺は、たかだか同じ部活の先輩……などで納まっているつもりは無いのだから。
そう思っても苛立ちは治まらず、そんな自分を嘆く様に見上げた空は目に痛いほどの茜色。
その時、携帯が振動した。
サブディスプレイに表示される名前は、予想通りのもので。何故だか、すぐさま通話ボタンを押す事は出来なかった。
けれど拒否などには出来ず、やはり俺は電話に出る。
『……もしもし?』
聞こえて来た声の、背後は静かだった。
そんな事を思って、無言のままで居た。
『聞こえてる?もしもし?』
返事が出来ないのは、何故だろう。進行方向の逆光に目を細める。
『……怒ってるってワケ?』
呆れた様な、そんな声だった。
思わず俺は眉を顰め、携帯を握る手に力を込める。嫌な音が耳元で鳴った。
「怒っている訳じゃない」
『じゃあ、何。不機嫌じゃん』
「別に」
嘘だという事は、あちらにも当然伝わっていただろう。それくらい俺の声は低かった。
「嘘吐き」
そう、嘘だ。怒ってもいるし、不機嫌でもある。
何に対して……俺との約束より付き合いを優先するリョーマに。そのリョーマを誘っただろうあいつらに。そして自分自身に、だ。
「アンタさぁ、俺にも俺の事情があるって事くらい、分かるよね?」
分かっているのに、分かりたくない事だってある。
「……ねぇってば」
言葉に出して言ってしまえたなら、まだマシかもしれない。
余計なプライドが邪魔をする。けれどそのプライドが無ければ、俺は俺じゃない。
「ねぇ」
俺は。
「さっきから呼んでんのに!」
突然掴まれた右腕に、危うく携帯を落としかけた。
反射的に見やったそこには、今、まさに今、通話中の……その電波の先に居る、相手が。
「無視?わざわざ遠回りしてこんなトコまで来たって言うのに」
有り得ない、と呟く彼の存在に、驚いたのか何なのか。思考が追いつかない様だ。
「……ちょっと?」
唖然としたまま動かない俺に焦れたのか、ゆっくりと離された腕が小さく引かれる。
やっと正気に戻る事が出来て、けれど今更平静を装う事など出来ず。俺は、曖昧な返事を返した。
「……桃城達と、出かけてたんじゃなかったのか」
「思ってたより早く済んだから。って言うか、晩飯誘われたの蹴って来たんだけど」
不満気な表情のまま小さく呟いたその言葉には、どんな意味があるのか。
一方的に取り消した約束の罪滅ぼし?それなら……必要ないのに。
「別に俺は構わないんだぜ。今からでも行けばどうだ」
そんな言葉を吐いてしまった。
皮膚が引き攣るのが分かる。笑みを刻もうとした唇が、小さく歪んだ。
リョーマは……奇妙な顔をしていた。
怒っているとも、笑っているとも。どちらともつかない様な……言うなれば呆れている様な、顔。
けれど次の瞬間、その顔に浮かんだのは、紛れもない笑みだった。
「……それって、もしかして嫉妬?」
俺は目を見開く。
それだけじゃない。もちろんそれだけではないが……紛れも無く、一番の要因はソレだ。
けれど何故、リョーマは笑っている?
滑稽だからか?俺が、たかだか同じ部の先輩、という存在に嫉妬している様が、滑稽だからか。
しかしその笑顔に、毒気は一切無い。
「独占欲強いタイプだったんだアンタって。言わないから、分かんなかった」
ともすれば声に出して笑い出してしまいそうなほどに、リョーマの瞳は緩んでいる。
「……何で笑う」
「え?」
「何で、笑っていられるんだ?」
思わず、口にしてしまっていた。
俺は俺であるために、言葉にしなかった。耐えもした。同じ学校の、仲間としては出会えなかった存在を、だからこそ出会えた存在を、手放したくない、ただそう思って。
醜い嫉妬や執着心をむき出しにすれば、面倒になって離れて行くだろう相手だったから。
なのに。
「……嬉しいから、じゃない?」
そう言って、リョーマはとても綺麗に微笑んだ。
「アンタさ、溜め込まないで言いなよ、ちゃんと。俺、嘘吐かれるよりそっちの方が全然良い」
何もかもが分かった、という風にスッキリとした顔をしていた。
そのまま俺の腕を引き、急に歩き出す。
「っ!どこ行くんだ」
「アンタん家?どーせ明日休みだし、このまま帰ろうよ」
「お前荷物は。ラケットも持ってないじゃねーか」
「だって出かけてた帰りだし。偶には、テニスしない休日も良いかも。アンタの本音、聞けた日くらいは……ね」
格好を付けるのも、虚勢を張るのも、ただただ良く見られたいからで。
本当は誰よりも傍に居たいのに、叶わないから平気なふりをして。
ただの一言が言えなくて。言ったなら、君が離れて行く様で。
手を繋ごうか。
滲み出る独占欲に、君は気付いてしまうかな。
END
企画第五弾は天宮ライトさまに頂きましたリクでした。
もう……ね。読み終えて「リク内容何だったっけ?」と思われるお客様が何人いらっしゃるか!(笑)
リクと天宮さまのご趣向からしても青学メインで書くべきなのは分かり切っているのに何故か氷帝が!出張りすぎだよあの子達っ!!
単に小者跡部な話になってしまいました……小者と言うか小心者と言うか。
恋は人を臆病にさせるとは言いますが、それにしてもアンタ、キャラ見失いすぎだよ……。
リョーマの前では「跡部景吾」が崩れてしまう様です。弱かったり、情けなかったりする自分を、認めたくない跡部様。
……こんなんで許して頂けますでしょうか;;
天宮ライトさま、企画参加有り難う御座いました!
そんでもって、高校合格おめでとう御座います……!!(これで祝ったつもりなのかー!!)
TOP