「おい、越前リョーマじゃねぇの」

振り向くんじゃなかった。
心底そう思った。





休日の人混みはただでさえ辟易する。寧ろ苛立つ。
信号待ちの時間すら惜しむ様に流れる人波に揉まれて、跡部の苛立ちは限界に近付く一方だった。
その真横で呑気にクレープなんぞを頬張っているリョーマが居なければ……とっくに迎えの車を呼んでいただろう。
そして、渋滞に巻き込まれた車の到着は遅れ、結局苦々しい思いで舌打ちをするしかない。それが分かっているからこそ休日の外出は面倒なんだ……と、なかなか青に変らない信号を睨みつけても仕方が無いのだが。
こんなに人だらけの道端で、よくも食べ物など食べられるものだ、と。横目に見たリョーマは相変わらず口を動かしている。
「アレが食べたい」と腕を引かれて連れて行かれた先は屋台のテイクアウト専門クレープ屋で、どれにしようかと散々悩んだ挙句に買った二種類のクレープの内、一種類は既にその胃の中だ。
今朝の朝食も丸々二人前は平らげていた。まだ昼前、あれから然程時間は経っていないと言うのに。……本当に底無しだな、と呆れるしかない。

視線に気付いたのか、リョーマが顔を上げた。口の端には生クリームが付いている。

「何。食べたい?」

甘ったるい匂いを発するそれを眼前に突き付けられるが当然の様に遠慮して、指を伸ばしてクリームを拭ってやった。

「よくもまあそんなに食えるよな」
「別に?普通じゃん」
「普通じゃねぇよ」

指先に付いた少量の生クリームを舐めて、跡部は眉を顰める。予想外の甘さに舌が驚いたのだ。

「何でお前はそんなに細いままなんだ……」

どう考えても消費し切れないカロリー摂取量。隣で見ていて眩暈がするほどだ。
それらを上回る運動量を、確かにこなしてはいるが……それにしても、頭一つ小さい少年の、どこにそれらが納まるのか。甚だ疑問で仕方が無い。

「……別に細くないけど」

容姿や体型の事を言われるのを嫌うのは、自身が標準より少々小柄なのを気にしているからなのか。
むっとした様にクレープの最後の一口を口に放り込んで、リョーマは視線を逸らした。
丁度信号は青に変った所、途端に動き出した人波に流される様にして、二人も足を進める。

ガットの張替えを頼んであるから、と。
金曜日の夜、珍しく手ぶらで跡部家へやって来たリョーマは、明日の休日は出掛けたいと申し出た。
二人で会えばテニス……と、飽きる事はないがマンネリ化している、と言うよりは習慣化している休日の過ごし方。結局ガットを張り替えたラケットを持ち帰り、試し打ちだとか何とか言ってコートに出たがるのだろうが……偶には外に出るのも良い。
そう思いつつも、跡部が外出を渋ったのには理由がある。
リョーマがラケットを預けてあるスポーツショップは、都心の大型チェーン店。昼でも夜でも人の溢れるその場所は、跡部にとっては大変好ましくない環境で。
新作のウェアやシューズ、ラケットやグリップテープ等……当のスポーツショップは跡部にとってもそれなりに魅力的な場所。しかしその道中が、と。
あまり良い顔をせず、仕舞いには『一人で行って来い』と言い出した跡部に、リョーマは言ったのだ。

『俺とデートしたくないって事?』

……こうして、休日の外出が決まったのだった。

人波に流され、また逆らいながらやっと店のエントランスを潜った時には、跡部は既に若干疲弊していた。
逆に元気いっぱいのリョーマに早く来いと促されながらまた混雑するエレベーターに乗りこみ、テニスコーナーでラケットを受け取るのを待ちつつ、ディスプレイされた新作のラケットを振ってみたり……する元気は無い。

「ちょっとグリップ見て来るから、アンタそこで待っててよ」

目に見えて不機嫌になって行く跡部に気を使ったのか、またはそんな相手と一緒に居ても居心地が悪いのか。
そんな事を言って姿を消したリョーマが戻って来たのは10分程経過した後で、しかも品切れだから別の店に買いに行くと言う。

「おい、今日でなくても良いだろうが」
「だって暫く練習続きだし、面倒だから今日揃えときたいじゃん」
「……マジかよ」

すぐ着くから、と既に歩き始めているリョーマを見失わない様に跡部も背中を預けていた壁から離れるが、その足取りが重いのは言うまでもなく。

「早くしなよ、はぐれるじゃん」

振り返ったリョーマも不満気で、どうせデートと言うのならもっと落ち着ける場所が良い、と。そう思わずには居られない跡部だった。





声がかかったのは、目的の物を無事購入して店を出てすぐの所だった。

「おい、越前リョーマじゃねぇの」

名を呼ばれて反射的に振り返れば、そこには三人の男。何となく、柄の悪い印象を受ける男達だった。
あぁこれは、この場で足を止めるのは得策じゃない。
瞬時に判断して視線を戻し、その男達に背を向けて歩き出すが。

「ちょっと待てって!シカトしてんじゃねぇぞ」
「待てよ越前リョーマ!」
「……そう何回も人の名前連呼しないでくんない」

ついそう返してしまった。
相手はどうやら自分を知っている様で。全国大会出場に伴い何度かスポーツ雑誌に記事が載ったからか、自分の知らぬ場所で知名度だけが上がっている感はある。
けれど何かを勘違いしている女子中高生ならまだしも、明らかに色の違う視線をぶつけられて、一々その相手をしていられるほど自分は暇ではない。軽くあしらうか、最近は聞こえてないフリで無視を決め込む事も多い。
マズったな……。不機嫌を露にして、けれど名前に反応してしまった以上誤魔化しも効かないだろう。そう判断して、渋々と振り返る。

「やーっぱ越前リョーマじゃん」

真ん中に立っている派手な柄のシャツを着た男は、何が面白いのかヘラヘラと笑っている。
右側の黒いジャケットの男は左側の茶髪の男と何やら話していた。

「……何か用?」

って言うかアンタ達誰?と。
相手の無遠慮にはより無遠慮に返す事に決めたリョーマが斜め上を睨み上げながら口を開けば、その態度が気に障ったのだろう、分かり易く表情を変える男達。

「俺達は越智南川中のテニス部員だ」
「……アンタ達と試合した覚えはないけど」
「試合は……な。だが俺達は都大会三回戦まで行った名門だぜ。名前くらい覚えといて損はねーぞ」

都大会……幾ら頭を捻っても、思い出せるのは聖ルドルフと山吹でギリギリだ。越智南川なんて学校名を聞いた覚えなどない。聞いていた所できっと覚えてなどいないのだろうが。

「……名門、ねぇ?」

リョーマとしては他意は無かったのだが、言い方が気に入らなかったのか、それとも態度か。またもや三人の顔色が変わる。
これは良くない状況なのだろうな。他人事の様にリョーマは思った。

すぐ帰るから、と。自販機で買ったミネラルウォーターを押し付けて置いて来たあの人が、そろそろ痺れを切らすかもしれない。
口数が減り顔色も悪い気がしたのでどうしたのか尋ねると、頭痛がすると言う。十中八九、人混みに酔ったのだろう。
人に酔う、などと。意外と軟弱なんだ?……何て。冗談交じりの軽口にも言葉を返さない所に余程悪いのか、と流石に心配になって。
結局駅前のベンチに「ここに居ろ」と座らせ、目的地までダッシュで来て……今に至る。

「おい、聞いてんのかよ!」

怒号を飛ばされてふと我に返る。あぁそう言えば、絡まれている最中だった。
気付いた時には三人は相当頭に来ていた様だ。どんな話をされていたのかもまともに聞いていないので、何故怒っているのかも分からないが。それさえもどうでも良いけれど。

「じゃ、俺急いでるんで」

なんて言ってその場を離れようとした所で、離してくれるのならば初めからそう出来ていたはずで。

「まだ俺達の用は終わってねぇよ!」

そんな言葉の後それなりの力で腕を掴まれ、引き摺られる様に路地裏に連れ込まれる。
あ、ヤバイ。そう思った時には、少し遅かったかもしれない。

「ちょっとお前の先輩達の弱点、教えてくれるだけで良いっつってんだろぉ!?」

あぁそれが望みだったのか、と。
今更ながらに理解したリョーマだった。





……遅過ぎる。
何度目かの腕時計の確認の後、跡部は立ち上がった。少し休んだお陰で頭痛も随分とマシになっている。
この人混みで待ち合わせ場所から移動するのは得策ではないが、すぐそこだと言ったはずの店に走り出してから既に20分は過ぎたのではないだろうか。
腕時計を確認するのと同じくらいの頻度で携帯にかけているが、暫くすると留守電に切り替わる、の繰り返しで。

「何してやがんだ、あいつは……」

リョーマが走って行った通りに向かって足を進めながら、溜息を吐いた。
都心と言えど一歩道を入れば急に空気は変わる。人通りの多い表通りも良いとは思わないが、あまりに人の少ない裏通りも正直良い気はしない。
何でそんな所にスポーツショップが?と思わずにはいられないが、立地条件が悪いせいか、比較的安価で物が揃う、と。その店を贔屓にしている人間は、氷帝にも居る。
勿論跡部は利用した事などないが、一度部の仲間に連れられて前を通った事があった。薄汚い、と一瞥しただけで、記憶も相当薄いが……この際仕方が無い。
今度から跡部がそうしている様に、家に業者を呼んでやろうか、と。
考えていた、その時だった。

「……んだとテメェ!!」

この薄暗い裏通りにとても似つかわしい部類の怒号が聞こえて来て、足は自然とそちらに向く。

「……正当法で勝てないからって、やってる事が汚過ぎるんじゃない?そんな事してる間にちょっとでも練習したら」
「こっちが下手に出てりゃ……っ、ちょっと強いからって良い気になってんじゃねーぞ!!」
「どこが下手だって?」

今度はこの通りに似つかわしくない、聞き慣れたアルトボイスが響く。
治まりかけていた頭痛が蘇った気がして、跡部は今一度、重い溜息を吐いた。
リョーマが向かった先、スポーツショップの入り口はすでに見える範囲内にある。そこから少し離れたビルとビルの間、2メートルあるか無いかの隙間に、人影が四人分。

「大体さ、うちの先輩達もう引退してるし。それに弱点なんてあった所で、アンタ達にそれ、攻め切れんの?」
「心配しなくても高校に入ってから活用させて貰うぜ」
「それに、誰だって弱点を集中的に攻められれば崩れ出すモンだろーが」
「そこを徹底的に突く!これで俺達も、史上最強と謳われた青学レギュラーに勝てる!」

その会話だけで何があったのかが簡単に想像出来る。
それにしても……どうやら相手もテニス部員の様だが、同じスポーツを嗜む者として心底下らない人間達だ。
そこでふと気付いた。その男達……三人に、見覚えがあったのだ。

「都大会三回戦敗退校が、弱点聞いたくらいでうちの先輩達に勝てるワケがないよ。他を当たれば」
「青学レギュラーを倒すから意味があんだろーが」
「良いから吐けよ。痛い目見たくねぇだろぉ?」

足音を消している訳でもないが、その下らない三人組は自分には気付いていない。

「で?ちなみにアンタ達、どこに負けたワケ?」
「あぁ?」

リョーマはちらりと此方に視線を寄越す。どうやら気付いていた様だ。
そこで跡部は口を開く。

「我が氷帝だ。ま、大した試合でも無かった上に準レギュラーのみの出場だったからな、よく覚えてねぇよ」

一斉に視線が向く。思わず笑ってしまいそうになったのは、その三人組が全く同じタイミングで呆然と口を開いたからだ。

「……遅い」
「ヒーローは遅れて来るもんだろ」
「台詞ベタ過ぎ」

リョーマが笑って、跡部も笑う。
場の空気は明らかに変っていたが、三人組は開いた口をようやく閉めた所だった。

「グリップテープは買えたのか」
「まーね」
「なら早く来い。いつまでも俺様を待たせてんじゃねぇよ」

囲まれていた隙間から難なくリョーマが逃れ出て、跡部の横に並ぶ。
そこで跡部は三人組を改めて見据えた。その顔に笑みは残っていない。

「越智南川中……だったか。何なら青学の前レギュラーとの練習試合、取り計らってやろうか。手塚に連絡を入れといてやるよ」
「俺嫌なんだけど」
「そう言うな、こいつらも可哀想だろ」

残された三人組が跡部の一睨みに縮み上がった体をやっと解凍した頃、二人は既にその場を離れていた。





「誰彼無しに挑発してんじゃねーぞ」
「何、心配なワケ?」
「……当然だろうが」
「ふぅん?ま、そうだね。誰かさんみたいに、挑発されて俺にオチる人が居ても困るし?」
「っ!」
「ライバル増えちゃうよ。どーする景吾?」

悪戯な笑みを浮かべながら、ジャケットに付いた埃を払って。

「あんなのの相手してたら腹減った。ご飯食べようよ」

何て言いながら、薄暗い路地裏から颯爽と歩き出す様は正に。

「……何てやつだ、ったく」

けれどもその背中を追う足取りは軽い。

路地裏から一歩出れば、眩しすぎる夏の日差しに貫かれて。
少し目を細めても、その数歩先でこちらを振り返る存在だけは霞まない。

「何してんの、早く!」





そんな二人の休日。






END



企画第四弾は悠璃さまに頂きましたリクでした。
『リョーマにちょっかいをかける男達、それを牽制する跡部』という。
私としても初挑戦の内容だったのですが……如何ですか。
頂きましたリクでは跡部がカッコイイ感じなのですが、どうも……明らかリョーマの方がカッコイイ。跡部酔ってるし(笑)
跡部は人混みが苦手だと、勝手に。買い物とか家でしてそうなんですもの。
ブルジョワの私生活は分かりません。でも昼間デートをさせられたので満足です♪

ちなみに越智南川中、実際に原作7巻の細かいトーナメント票から引っ張って来た学校です。
不動峰に負ける二個前。シード校である氷帝の都大会での初戦校ですね。
勿論今回調べるまで存在すら知りませんでした(笑)

悠璃さま、企画参加有り難う御座いましたvv 





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