その色で君を飾れたならば。
初めてこの場所に足を踏み入れた数少ない人間は、それでも皆が皆こう言った。
―――植物園みたいだ。
年中咲き乱れる様に、と室温を調節された温室の中は、宛ら植物園そのもの。足を運んだ事が無いので事実どうなのかは知らないが、都立の植物園よりも手入れが行き届いている、と感心された事もある。当然だろう、誰の持ち物だと思っているんだ。
元々は亡き曾祖母が手入れをしていたこの温室も、今は執事頭が管理を任されている。庭師も居るが、特別な思い入れのあるらしいこの場所は、本当に限られた人間にしか侵入を許さない。
幼い頃……今や記憶さえも曖昧なほど昔。この温室の中央に作られた噴水の前で、曾祖母が言った言葉。
『この場所はね、私がこのお家にお嫁に来た時に、大御祖父様が作って下さったのよ。大御祖父様は、若い頃は本当にお仕事でお忙しかったから、私が寂しくない様にと花を飾って下さったの』
曾祖母は俺の手を取って、こう続けた。
『ねぇ景吾さん。薔薇にはね、沢山の花言葉があるのよ。いつか貴方に大切な大切な人が出来たなら、この場所に連れていらっしゃい。この薔薇が咲いた頃、その人にあげられる様に』
噴水の裏側の少し奥まった部分に、全ての花々から隠れる様にしてひっそりと咲く薔薇があった。大輪の花弁は誇らしげに咲くけれど、決して目立とうとしない。そして、三日と待たずにその身を散らす、不思議な薔薇。
その美しさを手に入れたくて、手折ろうとした事がある。けれど薔薇は、幼いこの手を拒むかの様に棘を刺した。
―――今はその時じゃない。
……そんな曾祖母の声が聞こえる様で、俺は少し怖くなって。
むせ返る様に香る薔薇と、柔らかい掌の思い出。
夜の帳はとっくに下りて、深い藍色が空を覆っている。
透明なガラス越しに見上げる空はどこか虚無感を抱かせた。星は小さいながらも自己主張をする様に輝くのに、手は決して届かないから。
温室の中に設えられたテーブルには、メイドに運ばせた緋色の紅茶。角砂糖を溶かしたまま口を付けないそれは、湯気を失ってまだ間もない。
先ほど内線で告げられたアポ無しの訪問者は、そろそろ此方に着く頃だろうか。この場所は中庭でも本館から離れた位置付けだから、少し時間がかかるかもしれない。
夕食後にこの場所へ足を運んで直ぐ、あの薔薇の様子を確認した。
―――全く、狙った様なタイミングだな。
そっと静かに笑って、小さく砂利を踏み締める音を聞く。
「……何、ここ」
蔦で編みこまれたアーチの向こうから顔を出したのは、内線で告げられた訪問者に相違ない。
「曾祖母の代から受け継がれている温室だ。殆どが薔薇だがな」
「凄い匂い」
ポプリの中に居るみたいだ、と。
自らを取り囲む色取り取りの花々を見ながら、リョーマは跡部の佇むテーブルの傍にやって来た。
「どうした突然。部活の帰りか?」
「今日は委員会が長引いて部活に出れなかったんだよ。で、明日も休みだから丁度良いかと思って」
「メールくらいしたらどうだ。俺様も多忙なんでな、いつも家に居るとも限らないぜ」
「ボーっと花眺めてたくせによく言う」
リョーマは少し笑って、すぐ傍で水音を立てる噴水へと指を伸ばした。
そこで咲き誇るのは睡蓮。純白と呼ぶには些か黄色がかった大きな花が、その身をゆらゆらと揺らしている。
「さっき執事さんに聞いたんだけど」
「何だ」
「ここって、部外者立ち入り禁止って本当?しかも何か、凄い嬉しそうに言われたんだけど」
俺って明らかに部外者じゃん?と。
その言葉を聞いて、跡部は笑う。確かに……この場所に来客を招き入れたのは、数えるほどしかないのではないだろうか。
それを当然知っていてリョーマに洩らしたのだから、あの初老の執事はどうやら相当リョーマを気に入っている様だ。
と言うよりも寧ろ、跡部にとってのリョーマの存在を、よくよく承知しているからなのだろうか。
「まぁ、そうだな。曾祖母の遺言で、この場所に入る事を許されているのは、家族以外にはごく少数だ」
「……じゃあ、」
「お前は、良いんだよ」
続く言葉を遮って、跡部はリョーマの腕を引く。跳ね返った噴水の水で少し濡れた手は、じんわりと冷たい。
「丁度良かった。お前に、見せたいものがある」
眉を寄せて何かと問う言葉を無視して、向かった先は例の薔薇の咲く噴水の裏側。
地面近くをじっと見下ろす自分に習ったリョーマが見つけたのは、今にもその花弁を大きく広げて咲き誇りそうな、緋色の大きな蕾だった。
「これも、薔薇?」
「あぁ。しかも特別品種だ」
「ふーん……」
呟いて、リョーマは膝を折った。
しゃがみこんだ先にあるその薔薇は、花開くその瞬間を待ちわびて今にも震え出しそうだ。
「いつ頃咲くの」
「あと二、三日……って所だな。この週末には見られるだろう」
「じゃあ、また見に来て良い?」
「何だ急に。花に興味なんてあったのか」
「……アンタが見せたいって言ったんじゃないのかよ」
苦笑混じりは上機嫌の証。
開花を待つ蕾の段階でもふんわりと微かに香る甘い香りを捉えたのか、リョーマは少し、目を細めた。
「薔薇が咲いたら、お前にやるよ」
「え?」
「お前を飾るために手折るなら、曾祖母もきっと喜ぶ」
「飾るって……何、こんな凄そうな薔薇、俺貰っても困るって」
「良いだろう。俺がお前に贈りたいだけだ」
『いつか貴方に大切な大切な人が出来たなら』
困惑顔のリョーマを横目に、跡部はその場を離れる。
曾祖母の残した花々に囲まれて、思い返す毎に響く優しい声に従う様に。
贈りたいのは花だけではなく。
添えられた愛の言葉を、共に。
薔薇が咲いた日に。
END
企画第三段は兼田碧さまに頂きましたリクでした。
リク締め切りからひと月過ぎちゃいました……よ!もう本当に、何と言ったらいいか;;
しかも何、折角頂いた素敵リクが相変わらず活かせていない事実……!!
申し訳ありません……っ;;
『記念日に、』という……読点で終わっているポイントがもう……!!そこがミソじゃん私の馬鹿!!
普通に「一周年」とかにしようと思ったんですが、跡リョ一周年って明らかに夏じゃないですか。今冬じゃん。
という事で……私らしくですね、意表を突いてみようかと。(言い訳言い訳)
耽美さを出せていたら良いな……。
ってーか、何かちょっとホラーですか?
兼田碧さま、企画参加有り難う御座いましたvv
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